INTERVIEW

INTERVIEW

金澤有希が振り返るアイドルとしての19年間&アイドルプロデューサーとしての願い「『頑張れば必ず報われる』という世界ではないけど、でも……」

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感謝の気持ちはずっと忘れなかった

そうして再びアイドルに挑み、iDOL Streetストリート生、GEM、そしてSUPER☆GiRLSとキャリアを積んでいった金澤さん。19年間歌ってきたなかで、心に残っている楽曲を挙げるとすると?

  • 金澤

    いろいろありますけど、大きかったのは正式メンバーになる前に歌っていたGEMの『Speed up』です。私は王道アイドルが好きで、スパガに憧れてiDOL Streetのオーディションを受けて。でもダンス&ボーカルグループに配属になって(笑)。『Speed up』は当時の私が「自分がやりたかったことじゃない」って壁にぶつかった曲なんです。

確かに、まさに「ダンスで魅せる」といった曲ですよね。

  • 金澤

    その頃の私はアイドルこそやってたけど、ダンスレッスンにしっかり通ったことがなかったし、でも、一緒にパフォーマンスするのは3歳とかからダンスをやってきた子たちで。スキル面でも気持ちの面でも周りに追いつけなくなって、また「辞めてしまいたい」って思うくらいだったんです。

    でも、ここで辞めたら何のために戻ってきたんだって思って。夜遅くまでひたすら踊り続けてたら、練習方法が悪かったのか……あばらを疲労骨折してしまって(笑)。

あばら!?

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  • 金澤

    折れてしまいました。でも、当時は正式メンバーが決まる前で、休んだら自分のポジションに誰かが入ってしまうかも、自分のアイドル人生が終わるかもって思って。プロデューサーには話して、もちろん止められたんですけど、隠しながらライブに出ました。

    ……ちょっと暗いエピソードかもしれないですけど、「あそこで頑張ったから私は正式メンバーになれたのかもしれないな」って思う曲です。それからもアイドルとしての山場は何度もあるんですけど、「でも『Speed up』も乗り越えたしな」みたいに思えてました。

“不死鳥”にふさわしい、とんでもないエピソードです……(笑)。では、それ以外に“今の金澤有希”を作ったターニングポイントは?

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  • 金澤

    やっぱりTouch時代の下積みは大きかったなと思います。辻ちゃんに憧れて入ってみたけど、いざ活動すると、憧れとはかけ離れた部分も多くて。自分たちで機材を運んだり、自分たちでステージを組み立てたり、固定のお客さんはメンバーより少なかったり……。当時はそれしか知らなかったので、つらいとは思わなかったんですけどね。……いや、でも氷点下20℃でライブをしてたのはつらかったです(笑)。

氷点下20℃……ちょっと想像できない気温です。

  • 金澤

    しもやけになるし、外に設置してもらったヒーターとかで暖をとるんですけど、寒すぎて自分の手袋や衣装が熱で溶け始めてるのに気づかなかったりするんですよ。溶けて初めて「あ、やばい!」って。……でもそれがあったから、上京してからの「スタッフさんが全部準備してくれるありがたさ」とか、「お客さんがたくさんいることの喜び」とかを知れたので。いろんなタイミングでTouch時代のことを思い出してました。それでいうと私のAKB48時代のお披露目、代々木第一体育館だったんですよ(笑)。

いきなりキャパ1万人超え!

  • 金澤

    その数ヶ月前まで路上ライブをしてたのに(笑)。……その思い出のおかげで、感謝の気持ちはずっと忘れなかったです。19年間で一番大事なことだったなと思います。

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