INTERVIEW

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金澤有希が振り返るアイドルとしての19年間&アイドルプロデューサーとしての願い「『頑張れば必ず報われる』という世界ではないけど、でも……」

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人の人生を変える側の人間になろうとしてるんだ

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このインタビューでは、金澤さんの19年間の振り返りもできればと思っています。そもそも、辻希美さんに憧れてアイドルに興味を持ったんですよね。

  • 金澤

    両親が『ASAYAN』が好きだった影響で、私や妹も物心がつく前からモーニング娘。さんを見ていて。辻ちゃんに憧れてない時代の記憶がないくらい、最初から「この人みたくなりたい」って思ってましたね。……というか、幼すぎて「女の子はみんな、辻ちゃんみたいなアイドルになれる」と思い込んでました(笑)。だから幼稚園の卒園アルバムにも、「アイドルになっても楽しみます」みたいなことを書いてたみたいです。

そんな「小学生になっても頑張ります」みたいな(笑)。

  • 金澤

    すごい思い込みですよね(笑)。小学生になって、だんだんと「そんなことではない」とわかっていったんですけど、でもアイドルになるために何か行動するわけでもなく。ただただ「モーニング娘。さんが好き」なまま過ごしてました。

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で、小学5年生の頃に、Touchのプロデューサーからスカウトがあったと。

  • 金澤

    Touchって、当時の苫小牧の人ならみんな知ってるってくらい、どこでもライブをしてるグループだったんですよ。市内の駅に行けばライブしてるし、お祭りがあればそこにもいたし。それで私もふとしたときに駅前でライブを見てたんですけど、そこで声をかけていただいて。

    自分にとって一番近くにいたアイドルで、当時の自分にはモーニング娘。さんと変わらないキラキラした人たちで。すぐに「なりたい!」と思って、活動を始めました。

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Touchでの活動は高校1年生まで続き、その後、妹さんの誘いで受けたAKB48の第7回研究生オーディションに合格します。16歳で家族から離れて上京したんですね。

  • 金澤

    ですね。その頃からすごいスピード感で生きてるなと今思ったんですけど、私、合格してから5日間くらいで上京してきたんです。学校の転校手続きも翌日にはしてたし、上京先の家も決める前に「とりあえず千葉に住むおばあちゃんのところにお世話になろう」って。何の準備をするわけでもなく上京してきましたね。

ご両親もおばあさんもすぐに協力してくれるのが頼もしいですね。

  • 金澤

    でも、お父さんはびっくりだったと思います。AKB48のオーディションを受けるのはお母さんにしか言ってなかったので。で、当時の印象にすごく残っているのが、引越し先に飛行機で向かうのかなと思ってたら、お父さんの運転で行くことになって。

えっ。苫小牧から千葉ですか?

  • 金澤

    はい。車で移動するにはめちゃくちゃ遠くて、朝出発したら翌日の夜に着くくらいの距離だったんですけど。大人になってからお母さんに聞いたら、お父さんは「せめて自分の手で送り出したい」って思ってくれていたみたいで。

16歳の娘が超有名グループのオーディションに受かって東京に行くなんて、「娘と長い時間を過ごすのは最後になるかも」と思ったんでしょうね。

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  • 金澤

    今になってすごくありがたみがわかる話なんですけど、多分、そのときの私は「なんでわざわざ車で?」ってふてくされてたと思うんです。なので隣に座ってるのに特に会話することもなく……。

お父さんはいろいろ話したかったんでしょうけど、金澤さんも幼かった。

  • 金澤

    うちのお父さん、昔から結構厳しい人なんです。門限とかも早いし、部活も「絶対にスポーツをやりなさい」とかって言う、ザ・昭和な父というか。

    でも、振り返るとところどころで愛情はすごく感じていました。それこそ、卒業した日の翌朝、「LINEってこんなに文字打てるんだ」ってくらいの長文で19年間を振り返ったメッセージを送ってきてくれて。

おぉ……。

  • 金澤

    私がTouchとして初めて立ったステージの話とか、自分でも覚えてないエピソードとか、初めて武道館に立った日のチケットがまだ机の中に入ってるとか。いろんなことがすっごい長い文章に詰め込まれていて。

厳しい人だけれど、お父さんは金澤さんのことをずっと見守っていたんですね。

  • 金澤

    そうですね。「厳しかったけど、やっぱりずっと愛があったんだ」って、読みながら泣きました。……その文章の最後には、「アイドルをやりたいけど、経済的な問題や距離的な問題、いろんな面でステージに上がることを諦めた子たちも絶対にいっぱいいる。そういう子たちをステージに上げてやれ。それはお前にしかできない」「19年間、楽しませてくれてありがとう」って言葉があって。

    私は「自分がしてきたことを活かしたい」と思ってアイドルプロデュースを目指してきたけど、それだけじゃないんだ。人の人生を変える側の人間になろうとしてるんだ。……って、いろんなことに気づかされたメッセージでした。

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