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中野サンプラザはなぜ「アイドルの聖地」になったのか? 若者のために生まれ、ドラマを生んできたホールの半世紀

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「アイドル冬の時代」を経て、ハロコン恒例の会場に

80年代の末期から90年代初頭になると、「アイドル冬の時代」がやってくる。

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おニャン子クラブ・Wink・少女隊などが相次いで活動を終えたこの時代。

中野サンプラザも例外ではなく、アイドル関係のイベントは減っていった。90年代初頭にしばしば中野サンプラザで公演を行っていたCoCoも1994年に解散してしまうと、90年代中盤にはこのキャパシティでコンサートを行えるアイドルがほぼ皆無という状況に。

中野サンプラザ内で地下アイドルが集まる雑貨店『中野ロープウェイ』のオーナーで、当時からアイドルファンだったイトウさんは語る。

「1994年、当時の自分は制服向上委員会や東京パフォーマンスドール、水野あおいさんなどを推していましたが、イベント会場は小規模なライブハウスが常で、中野サンプラザクラスのキャパシティでライブができる人気を持ったアイドルがほとんどいませんでした」

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中野サンプラザ内『中野ロープウェイ』

こんな状況から、再び中野サンプラザにアイドルライブの活気をもたらしたのがモーニング娘。とハロプロだった。

モーニング娘。は1998年、デビューシングル『モーニングコーヒー』以降順調史に売り上げを増やし、同年中に『抱いてHOLD ON ME』でオリコンシングルチャート1位を達成。音楽番組に引っ張りだこになる。

そんな彼女たちが1999年1月2日と3日、中野サンプラザにて『Hello!ハッピーニューイヤー‘99』を行った。これが中野サンプラザでの初のハロプログループによるコンサート(ハロコン)である。

アンコール含めて15曲、中澤ゆうこ名義での演歌風のナンバー『ガラスの女房』、タンポポが『ラストキッス』も披露、ASAYANオーディション当時と地位が逆転しつつあった平家みちよも出演……と、時代を席巻していく「つんくファミリー」が集合。ハロプロの全グループが集まる今の「ハロコン」の原型ができている。1日3回公演だったのも当時の熱気をうかがわせる。

同年には早くも春にコンサートツアーを開催、東京公演の会場は同じく中野サンプラザで行われた。年が明けた2000年正月にも『Hello! Project Happy New Year 2000』を開催している。以後、正月には毎年中野サンプラザでのハロコンが定着し、ハロコン自体も正月だけでなく夏も開催が恒例化。このイベントで、「ハロプロといえば中野サンプラザ」のイメージが定着したようだ。