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中野サンプラザはなぜ「アイドルの聖地」になったのか? 若者のために生まれ、ドラマを生んできたホールの半世紀

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1973年開業、今年で50周年を迎えた宿泊と音楽の複合施設・中野サンプラザ。

中野駅の目の前に建ち、インパクトの強い三角形のビルが今年の7月2日、今週の日曜日をもって、建て替えのために閉館する。

館内のホールは、数多くのアイドルがステージに立ち“アイドルの聖地”とも呼ばれている。そもそもなぜ“聖地”と呼ばれるようになったのか。その歴史を紐解いてみよう。

70~80年代、若者に人気のアーティストが集まる

1973年6月1日、ちょうど半世紀前に中野サンプラザが開業した時の名称は「全国勤労青少年会館」。地方から東京に上京して働く若者のための複合施設でもあった。収容人員2222人の大ホールは、オープンから多くのアーティストが音楽ライブを行っていた。

そんな1970年代に盛んだったのが、若者に人気のアイドルや歌手が集まる音楽祭や、オーディションやコンテストだった。

開場したての1973年からニッポン放送による『サンプラザ音楽祭』が毎年開催され、山口百恵・桜田淳子・片平なぎさらが出演。1975年には太田裕美が大賞を獲得している。

他にも『ミス・セブンティーンコンテスト』決勝大会の会場としても使用。1980年3月には『HIDEKIの弟妹募集コンテスト』決勝大会がサンプラザで開催された。河合奈保子が“西城秀樹の妹”グランプリを獲得してデビューの切符をつかんだのは、昭和アイドル史に残る象徴的な出来事だった。

以後も、70~80年代にデビューしたアイドルたちも中野サンプラザで公演を行っている。郷ひろみ、田原俊彦、石野真子、松田聖子、小泉今日子、中森明菜とそうそうたる顔ぶれだ。

「若者のための施設」というコンセプト、さらには今でも高く評価されるホールの音響の良さは、当時の若いアーティストたちが出演するイベントを開くのに重宝されていたようだ。

しかし、中野サンプラザが「アイドルの聖地」と呼ばれるのは、まだ先のことである。