INTERVIEW

INTERVIEW

北陸を代表するご当地アイドル・ほくりくアイドル部のキャプテンで“防災士アイドル”松井祐香里インタビュー「ピンチをチャンスに。ライブをすることで一日も早く日常を取り戻したかった」

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金沢マラソンで芽生えたキャプテンとしての自覚

アイドルには、元々興味がありましたか?

  • 松井

    中学生くらいの時から嵐が好きで、生きがいでした。学校があんまり好きじゃない時に、テレビ番組で嵐を見て。高校生になると、ライブに行くためにほぼ毎日アルバイトで。平日はほとんど遊ばずに働いて、土日は朝9時〜16時が「はなまるうどん」、17時〜22時が「ほっともっと」という感じで、掛け持ちもしていました。

なんと、そっちのオタクだったんですね。それって公言していいんですか?

  • 松井

    最近は言うようにしているので大丈夫です(笑)。昔の話なので。

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女性アイドルには推しはいましたか?

  • 松井

    NMB48がデビューした時くらいにテレビ番組を見て山本彩さんを好きになって、CDを30枚くらい箱買いして握手会に行ったり、指原莉乃さんも好きで総選挙10位くらいの時から握手会に行っていました。指原さんはビジュアルも頭脳もパフォーマンスも優れていて、そのバランスの高さが憧れです。

おお〜。それで自分もアイドルになろうと?

  • 松井

    高校3年生の時、アイドルが好きということ以外に将来の夢がなくて(笑)。好きなアイドルになるために、親に内緒で東京のオーディションをいくつか受けたんです。それで合格したことを伝えたら、「勝手にふざけたことをするな! 意味がわからん!」ってすごく怒られて、契約書も破られました。

夢破れるも、芸能の素質はあったんですね。

  • 松井

    結局、芸能が好きだからADや映像を学べる東京の大学に行こうとしたんですけど、金沢にもそういう大学があることを知って。そっちの方が、「東京で暮らすより貯金が貯まるしライブも行けるじゃん」と思って、金沢にとどまりました。あと、小さい頃にピアノを習っていて音楽も好きだったので、大学は軽音学部でキーボードやドラムをしていました。

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好きなライブも見に行けて大学生活も充実してそうですが、そこからどうして、ほくりくアイドル部に?

  • 松井

    大学1年生の時に先輩とカラオケに行ったんです。そしたら、ほくりくアイドル部の立ち上げメンバー募集のポスターを先輩が見つけて、「応募してみたら?」って言ってくれて。一度はアイドルを諦めたし、19歳だと遅いと思って悩んだんですけど、人前で立つ仕事をやりたい気持ちも少し残っていたし、「部活や習い事みたいな感覚でやってみるか」と思って受けました。

どちらかというと軽いノリで応募したんですね。

  • 松井

    そうですね。結成当初は17人で、年齢層でいうと真ん中よりちょっと上くらいで。半年後くらいに中新さんに「キャプテンできる?」って聞かれて。「私、授業中とかも寝てるし、生徒会の仕事もしたことないし、どちらかというと静かで隠キャですよ。責任感もないし、それでもよければ」って言って、引き受けました。

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若気の至りというか、若さゆえの生意気発言!(笑)

  • 松井

    最初は遅刻もするし、レッスンも休むし、プライベートも優先するし、すっごいダメな人でした(笑)。

今のしっかりしている姿からは想像もつかないです。そこからよく変われましたね。

  • 松井

    1年目の時、グループを代表して金沢マラソンを走ったんです。そのくらいから「変わった」ってよく言われます。キャプテンとしてリタイアは恥ずかしいし、中学はソフトボール部だったので体力には自信もあって。あと、単純にアイドルが走ってたら注目されるじゃないですか(笑)。メンバーもゴール地点でパフォーマンスをして、待ってくれていたし。今ほどではないですが、ちょっとだけ責任を背負っている気持ちはありました。

金沢マラソンでキャプテンとしての自覚が芽生えたと。

  • 松井

    その時から、後輩を育てようとか、自分のレギュラー番組が欲しいと思うようになったし、人に教えてもらいながら動画の編集も始めて。YouTubeやインスタグラムも毎日投稿したり。私には、「才能とか何かに秀でたものがない」と気付いたので、努力とか何かを続けることで成果を出すしかないと思って。防災士もそうですが、自分のやり方で、目標を決めて達成するというのを繰り返すようになって、目標がないと満足できなくなっています(笑)。

活動に対して貪欲になったんですね。