コロナ禍に防災士の資格を取得
ライブをしたことで、ファンの方も安心したんじゃないですか?
- 松井
泣いている方がいたり、「元気をもらった」という声もいただいて。思いは伝わったと思うし、アイドルをしている意味があったんじゃないかなって思います。
ライブ後のXに、「不快に思われる方、ごめんなさい。批判があっても、私は今日のこのライブをSNSで届けたい」と、自ら編集したダイジェスト映像を投稿していました。やはり批判はありましたか?
- 松井
ありました。「この状況でやるの?」とか。いつも何か新しいことをする時は、一定数言われることはあります。でも、ピンチはチャンスです。やるってなったからには絶対やるし、私はマイナスな気持ちは全然なくて、来なかった人を後悔させるというか、「見てろよ!」くらいのいいライブにする。いいライブになると確信してステージに立っていたので。思いをそのまま伝えました。
先ほどの“防災士アイドル”の話に戻りますが、そもそも、どうして資格を取ろうと思ったんですか?
- 松井
コロナ禍でライブやイベントができなかった時、「地元の活動に活かせる資格でも取ろうかな」と思って、最初は、気象予報士の勉強を始めたんです。知り合いの予報士さんに「これをとったら一生食っていける」って言われて(笑)。
確かに、地元のテレビ局とかで需要ありそうですね。
- 松井
石川県は気象予報士が足りてないって聞いて。「これは、各局に出られるチャンスだ」と思って。結構、毎日勉強してました。
それがどうして防災士に?
- 松井
途中で、石川県は防災にも力を入れていて、防災士の資格があることも教えてもらって。しかも、気象予報士の資格より難しくなくて、早く取れると。コロナも長引きそうだったし、まずは防災士をとって、後から予報士をとろうと思ったんです。でも、防災士の資格をとった頃にはライブ活動ができる状況になっていて。予報士の教科書は家に仕舞いました(笑)。
コロナ禍で、「地元の活動に活かせる資格を取る」ことは達成したわけですね。
- 松井
はい。実際、NHKの番組に出演オファーをいただいたり、防災番組にも出させていただきました。あと、1年ほど前にも能登で地震があったんですけど、「イオンモール白山」のイベントに出ていて、揺れた瞬間、「しゃがんでください」「大切な方に連絡してください」とか、自然にアナウンスができて。その時に資格が活かされていると実感しました。
だいぶ役に立っていますね。そういった、地元愛や地域貢献の気持ちは昔からあったんですか?
- 松井
ほくりくアイドル部に入ってからです。最初は地元に興味のないただの女の子でした。それが、グループにいると、活動が全て地元に関わるものなのでどうしても意識が高くなっちゃうのと、結成当初から中新さんに、「応援は必ず自分たちに返ってくる。自分たちが街や人を応援しないと、応援されない。だから応援しなさい」と言われてきて。
金言ですね。
- 松井
サッカーチームのツエーゲン金沢や、金沢マラソンの応援ガールから始まり、これまで、地元の企業や団体で、40個くらいはアンバサダーを務めています。
そんなに多いと金沢や北陸にはなくてはならない存在ですし、応援が実を結んでますね。
- 松井
まだまだ応援し続けますし、オファーも待ってます(笑)。