2023年において、アイドルにまつわる楽曲で最大のヒットとなったのは、アイドルが歌ったものではなく、アイドルについて歌われたもの――そう、YOASOBIの『アイドル』だった。では、この『アイドル』はなぜヒットしたのか。今年中にその分析しておく必要があると思う。その核心に迫ってみよう。
今さら説明の必要もないが、YOASOBIの『アイドル』は、今年4月にスタートしたアニメ【推しの子】の主題歌である。原作は2020年4月より『週刊ヤングジャンプ』にて連載が始まり、その時点で芸能界のリアルさをえぐる内容で話題になっていたが、今年4月にアニメの放送が開始された。その第1話が90分枠という、異例の力の入れようだったこともあるし、そればかりかテレビ放送に先駆けて3月から映画館でアニメ第1話が先行上映されるという仕掛けも相まって話題が爆発。コミックの売り上げはシリーズ累計1500万部を突破したという。2024年にはアニメ第2期の制作も決定しており、その勢いはしばらく止まりそうもない。
アニメの話題性もさることながら、「アニメは見たことないけど、主題歌は知っている」という人も多い。主題歌がアニメ以上に独り歩きしていった印象さえある。ということは、楽曲自体が十二分に魅力的だったということだ。
この曲はアニメの放送開始と同日に配信され、Billboard Japanの各部門であっという間に首位に上り詰めた。ストリーミング再生回数はリリースから7カ月足らずで5億回を超え、YouTubeのオフィシャルMVは36日間で1億回再生に達し、12月上旬時点で3.8億回再生を記録している。
国内ばかりか、この優れた楽曲は世界へと羽ばたいている。『アイドル』は『Idol』と英訳し、英語版が発表されたことで、さらに優秀な輸出品となった(これは、韓国がK-POPを輸出品として捉え、海外に活動の場を求めているのと似ている)。事実、オフィシャルMVのコメント欄には英語での賛辞が目立つ。海の向こう側のリスナーに刺さっているのだ。
YOASOBIのコンポーザー・Ayaseは、英語版のリリースについてこう語っている。
「例えばK-POPのアーティストが日本語で楽曲を出してくれることに対して、日本人は『日本語で聴きたい』というよりは『日本にそういう思いを持ってくれていることがうれしい』みたいな感覚があると思うんです。同じように、英語圏に住まわれている方に、YOASOBIが世界も意識して活動しているんだよ、ということを見せるための1つの武器かなと思います」(『日経エンタテインメント』23年8月号)
この『アイドル』の素晴らしさの一つに、完成度の高い歌詞が挙げられる。原作の内容(主人公のアイが双子を産んだ事実を隠しながらトップアイドルを目指すも、死去。子供たちがその遺志を継ぐ)を忠実に踏まえながら、「アイドルとは何か?」という、アイドルが誕生して以来、常に議論されてきた問いへの答えを出している点も見過ごすことはできない。これは、原作のファンだったAyaseに主題歌のオファーが届いたことも大きく関与している。Ayaseは原作に感銘を受け、オファーが届く前からデモを制作していたという。
『推しの子』の公式サイトには、以下のような惹句が大きく書かれている。
「この芸能界(せかい)において嘘は武器だ」
1番の歌詞では、アイドルがファンに対して「愛してる」と伝えることは「嘘」だとして話を進めている。
たしかに、アイドルの言葉はどこまでが「嘘」で、どこまでが「本当」かわからない。アイドルとて人間だから、積極的に「嘘」をつくことはしないだろうが、アイドルにも都合がある。吐いた言葉のどこまでが真実なのか、誰にもわかりはしない。でも、「本当」もきっとある。そのスリリングさを楽しむのがアイドルというジャンルの醍醐味でもある。
その醍醐味を味わうことは、「虚実皮膜(きょじつひまく)」と呼ばれている。江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎の作者・近松門左衛門が唱えた論で、事実と虚構の微妙な境界にこそ芸術の真実があるという考え方だ。
この考え方は数百年を経た現代に至るまで有効なものとして生きている。アイドルやプロレスを論じるにあたって、虚実皮膜論を持ち出すことはよくあることだ。
この『アイドル』のすごいところは、歌詞の最後で「私の嘘がいつか本当になること信じてる」と歌っているところだ。「嘘」と「愛」。この相反する概念が同一化されるのだ。こんなアイドルがいたら、たとえ「嘘」をついていたといても、そこに「愛」が込められていれば、ファンは許せるのではないか。アイドルという「嘘」を抱えた存在の本質的な部分から逃げず、見事に着地させた手腕には驚くばかりだ。
アイドルファンが聴いても納得できるだろうし、とりたててアイドルファンというわけでもない人が聴いても、彼らが何となく抱いている「アイドルとは嘘をつくもの」という不信感への回答にもなっている。たしかに「嘘」はある。しかし、その嘘には理由があるんだ、と。
赤坂アカによって書かれた漫画原作、あるいは書き下ろし小説『45510』を読めば、この考え方をすぐに知ることができる。この考えの発着点は赤坂アカにあったのであろう。つまり、『アイドル』のヒットは、原作の赤坂アカ、作画の横槍メンゴ、YOASOBIのAyaseとIkura、全員のリレー形式の合作の賜なのかもしれない。
言うまでもなく、YOASOBIはアイドルではない。もしこの曲がアイドル側のクリエイターからリリースされ、どこかのアイドルグループが歌っていたらどうなっていただろう。2023年のアイドルシーンも勢力図も大きく変わっていたはずだ。今年、アイドル界はYOASOBIにたった1曲で吹き飛ばされたのだ。
2024年、この曲に勝てる楽曲がアイドル側から誕生することを願ってやまない。
文/犬飼 華