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やすすの世界 〜君はまだ 本当の秋元康を知らない〜 その4・HKT48『3-2』を勝手に解釈

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作詞家生活40年以上。積み上げてきたその数は4500曲にも及ぶ秋元康氏のアイドルソング。この連載では氏が書いてきたシングルにスポットを当てる。氏の歌詞は、一読しただけでは真に言いたいことを見落としてしまい、じっくり読んでも理解が追いつかない。そんな謎が行間のあちこちに潜んでいる。考えれば考えるほど単純ではない世界の深淵をのぞいてみませんか……?

 2022年10月16日、HKT48の矢吹奈子が卒業を発表した。それはコンサートのエンディングだった。会場の幕張メッセイベントホールは息をのんで、その瞬間を見守っていた。

 かつてチビっ子として人気を馳せた矢吹と田中美久が、デビューから10年近く経ち、このグループの中心になってけん引していく。そう思い込んでいただけに、想定外の卒業発表だった。田中は驚きや悲しみではなく、「うんうん、そうだよね。分かっていたよ」というような表情で、一大決心をした盟友を見つめていた。

その電撃発表で思い出したのが、HKT48の『3-2』だ。

 この曲は2020年4月に発売された、グループにとって13枚目のシングルである。この曲のキャンペーンを大々的にスタートさせようとしていたタイミングで、パンデミックが世界を襲った。歌番組への出演機会が飛んだ。そんなこともあって、この曲はファン以外にほとんど知られることはなかった。

歌詞を説明する。登場人物は男2:女1の3人組。主人公は「僕」。3人で会うことがよくあった。「僕」は親友の彼女を好きになってしまう。「僕」は苦悩する。親友のことを裏切れない。でも、彼女のことは好き。友情が崩壊することを恐れて、「僕」はどうすることもできない――。そんな張り裂けそうな思いが歌詞には描かれている。

 なぜ『3-2』なのかというと、仲良し3人組のうち2人だけが幸せそうにしている。残されたのは、『3-2』の答えである『1』(=僕)……。そんな切なさが浮かび上がる。

 この曲のセンターは運上弘菜。初めてセンターに立つ。北海道出身で、少し控え目。だが、ファンに向き合うことを真摯に続けてきた。その結果、ファンは彼女を支持し、センターにまで駆け上がった。

 やすすはなぜこの曲を運上に与えたのだろう? そうアプローチしてみたが、これという答えは出なかった。

 そこで角度を変えてみる。やすすはなぜこの曲をHKT48に与えたのだろうか?

 やすすにはいくつかの作詞パターンがある。

 ①として挙げられるのは、その曲のセンターをイメージするもの。代表的なのは『恋するフォーチュンクッキー』だ。失恋から希望を見出す展開は、スキャンダルから選抜総選挙1位にまで上り詰めた指原莉乃と重なる。

 ②として挙げられるのは、その時のグループの状況をイメージするものだ。当連載第1回でも書いたように、AKB48『元カレです』はこのパターンだろう。

では、『3-2』を②として考えてみたらどうなるか?

2020年春の時点で、HKT48はグループとしての転換点を迎えていた。その前年、指原が卒業し、大黒柱を失っていた。同年、人気メンバーの宮脇咲良が韓国へ渡り、IZ*ONEの一員として活動を始めた。初代センターである兒玉遥もやはりこの年に卒業している。中心人物が活動の場を移し、初めてリリースされたシングルが『3-2』だった。

言ってしまえば、HKT48は人気者から取り残されたとも考えられる。だとすると、『3-2』の「僕」が当時のHKT48だ。残されたメンバーからすれば、自己実現をした指原と宮脇が幸せそうに見えることもあったはず。じゃあ、私たちはどうすればいいのか……。やすすはそんなメンバーの心境に思いを馳せて作詞したのではないか。

 当時のHKT48は松岡菜摘を中心に奮闘した。全メンバー出席の会議を開き、グループの方向性を話し合った。松岡は、指原がこなしていたポジションに入ったのだ。

 2022年の夏、その松岡も卒業した。矢吹も今春、卒業する。『3-2』の時期のHKT48に状況が似ている。

もし次のシングルが発売されるなら、グループの状況を踏まえた歌詞になると予想するが、それよりも大事なのは、新キャプテンに就任した豊永阿紀、松岡はな、各誌グラビアを席巻する田中美久らがどんなグループ像を提示してくれるのか、だ。

願わくば、『3-2』のようにネガティブさを掬いあげたものではなく、奮起や団結をポジティブに捉えた歌詞であることを望む。HKT48にはポジがよく似合う。

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文/犬飼 華 イラスト/遊人