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やすすの世界 〜君はまだ 本当の秋元康を知らない〜
その2乃木坂46『僕は僕を好きになる』を勝手に解釈

やすすの世界 〜君はまだ 本当の秋元康を知らない〜<br> その2乃木坂46『僕は僕を好きになる』を勝手に解釈

作詞家生活40年以上。積み上げてきたその数は4500曲にも及ぶ秋元康氏のアイドルソング。この連載では氏が書いてきたシングルにスポットを当てる。氏の歌詞は、一読しただけでは真に言いたいことを見落としてしまい、じっくり読んでも理解が追いつかない。そんな謎が行間のあちこちに潜んでいる。考えれば考えるほど単純ではない世界の深淵をのぞいてみませんか……?

出典元:https://www.amazon.co.jp/

今回、取り上げるのは乃木坂46・26枚目のシングル『僕は僕を好きになる』。

この曲のセンターは3期生の山下美月。同曲で初めてグループの真ん中に立った。

当時のグループの状況を振り返ってみる。前作『しあわせの保護色』のセンターは白石麻衣だった。言うまでもなく、圧倒的な知名度とオーラでグループを引っ張った1期生である。

『しあわせの保護色』のあと、ナンバリングされていない配信シングル『世界中の隣人よ』がリリースされた。この年から始まった未曽有のコロナ禍を意識した曲だ。また、小室哲哉が作曲したことで話題になった『Route246』も立て続けに配信された。

白石は『Route246』から参加していない。2019年には西野七瀬も卒業しており、『僕は僕を好きになる』の時点でグループの2枚看板が姿を消していた。そんな時期だった。

さて、改めて歌詞を読んでみる。歌い出しは、嫌いな人の名前をノートに書いてみようという、大胆な提案から始まる。一人、二人、三人と書いてみると、主人公(僕)は「あれ、もっといたはずなのに三人しか書けない。なぜだ?」と疑問を抱く。それが自分を見つめ直すきっかけになる。その後は、おおざっぱにいえば、他人のことを認められなかったのは自分のせいだと気づいた主人公が「なんてつまらない意地を張っていたんだ」と自己嫌悪に陥る。ここまでが1番。

2番も自己嫌悪が続くが、現状を受け入れることで主人公は前向きになっていく。そして、ラストで自分のことを好きになるんだという決意で締める。

なぜ2021年のタイミングで、やすすはこの曲を書いたのだろう。

ひとつは、同時代性だ。『僕は僕を好きになる』、平たくいえば、自分を好きになるということ。その頃、ネット上では「自己肯定感」というワードが盛んに使われるようになっていた。『僕は僕を好きになる』と「自己肯定感」。同じ意味だ。

やすすはよくテレビで話している。「僕(みたいな世代)に届いた頃、その言葉を使うくらいでちょうどいい」と。ツイッターか何かで、やすす自身がよく見かけるようになっていたのだろう。それを曲にしようと考えた時、「自己肯定感」のワードが似合うのは、AKB48ではなくて、やはり乃木坂46だ。

……と、ここまで書いてきただけでも、なぜこの歌詞を乃木坂46にあてたのはという十分過ぎるほどの理由になるのだが、これだけではないような気がしてならない。しばらく掘り下げてみる。

ネガティブな自分を掘り下げるという作詞法は乃木坂46のシングルにしばしば見られる。代表的なのは『君の名は希望』だろう。透明人間とまでさげすまれていた主人公(僕)は、自分を認めてくれる存在(君)と出会い、生きていくことに希望を持つ。そんな曲だ。構造としては『僕は僕を好きになる』に酷似している。

何が違うのかと聞かれたら、それはグループの状況だ。

『君の名は希望』は、グループ全体が帯びていた影のようなものをそのまま曲にしている。センター・生駒里奈が学校ではスクールカーストの底辺にいたことももちろん大きい。

グループ初のドキュメンタリー映画と同名の主題歌『悲しみの忘れ方』にしてもそう。主人公(私)が悲しんでいるのが前提なのが実に乃木坂46らしいが、「私」は悲しみを忘れるために「今日ちょっと頑張る」という曲だ。

余談だが、この映画は初期乃木坂46がどんなグループかを的確に描いている映画で、大きく取り上げられた生駒、白石、西野、橋本奈々未、生田絵梨花、あるいは生駒と言い合いを展開する松村沙友理も、みんな心に何かを抱えている。そのイメージが乃木坂46のグループ像になったといっても過言ではない。

『僕は僕を好きになる』は、1期生に帯びていた影のようなものを3期生以降からはさほど感じられなくなっていた(完全になくなっていたわけではないものの)そんな時代にグループが突入したこと(あるいは、突入してほしいという願望)を歌詞の展開で暗示している。つまり、ネガティブな自分を掘り下げる行為が1期生(を中心としてグループが存在していた時代)の暗喩で、自分を好きになるんだと意を決するオチが、3期生以降が中心になる現在もしくは近未来のグループ像の暗喩ではないか。

グループの現況を作詞に落とし込むのはやすすの王道パターンのひとつではあるが、ここまで考えて、やすすが作詞していたとしたら、ただただ震えるしかない。あるいは、こちらの考え過ぎか……。

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文/犬飼 華 イラスト/遊人

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