INTERVIEW

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「大阪で一番売れてないアイドル」だったはずの“くぴぽ”が売れ始めたワケとは?

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コロナで暴れられなくなって見直された

結成7年になるくぴぽですが、初期の2014年頃はどんな活動してたんですか?

  • まきちゃん

    最初のころはバンドのライブ界隈の中でやってたんで、他のアイドルのことは全然わからなかったんですよ。もともと始めたのも最初バンドやるつもりが3人ともヘタクソで、でんぱ組.incが好きだったんで友達に曲作ってもらってやろう! と思って始めたんです。

もともとはそんな理由でアイドル始めたんですね。

  • まきちゃん

    でもバンドとかいろいろ活動してきた中で、アイドルがいちばん評価してもらったんですよ。「可愛い子2人と女装してる兄ちゃん」っていうので引きがあったのか、「面白いことしてるな」とは思ってもらえて。ただ、やってく中で自分もマジになってきて、お客さんがついてこないのに気づくんですね。

アイドル風にいえば「推されない」。

  • まきちゃん

    それに最初は3人組で活動してたけど、そのメンバーも就職とかでいなくなって自分1人になっちゃって。そこからメンバーが入ったり辞めたりしていく中で、地下アイドルの世界がちょっとずつ分かってきたんです。

アイドルの世界というか、業界がわかったきっかけってありますか?

  • まきちゃん

    代代代(大阪拠点のアイドルグループ)のマネージャーをすることになったんですよ。そこのプロデューサーの小倉ヲージとバンド時代に共演したり彼が働いてたライブハウスでブッキングしてもらった縁で、代代代デビューする時に手伝ったら「人いないから手伝ってくれない?」って頼まれて。そこでアイドルのノウハウとか知るようになって「ちゃんとやらないとダメなんだな」って思うようになりましたね。

売れてないって時期は結構続いてたんですか。

  • まきちゃん

    お客さんゼロとか1とかの時期が……4年くらい続いてましたね。共演してるアイドルはそんなことなくて売れていくし、自分のプライドが折れかけたんです。それで小倉くんに相談してプロデュースしてもらって、曲も彼に書いてもらったり、なんなら「大阪で一番売れてないアイドル」をつけてくれたのも小倉ヲージなんです。ことあるごとに彼には助けてもらったり、アドバイスもらったりしてますね。

どの辺をシフトしていった感じですか?

  • まきちゃん

    それまでリーダーがオカマということで「まきちゃん率いるグループ」って感じだったんですけど、あらためて自分がいることでマイナスになるところあるなと考え直して、自分の存在を薄める感じにしたんですね。歌詞割とか曲によっては自分をゼロにしたりして。未だにハンデはあると思うんですけど。

他にも男性メンバーいたりキャラクター強いメンバーがいるアイドルグループありますけど、そこが個性になりすぎてもよくないですもんね。

  • まきちゃん

    そこから軌道に乗るじゃないですけど、アイドルとして認知されていった感じはしますね。あとコロナになったのも大きいんですよ。それまでのライブでは、客席に飛び込んでジャイアントスイングしたり、お客さんにボール渡してまきちゃんのボールを当てるとかしてたんですけど……。

かなり激しめな観客参加型ライブでしたよね。

  • まきちゃん

    それがコロナで出来ないというか自粛するようにして。そしたら「あれ? くぴぽって曲よくない?」ってみなさん気づいてくれるようになって(笑)。

ウケるつもりでやってたジャイアントスイングは実はマイナスだった!

  • まきちゃん

    それが入り口で好きになってくれた人もいたんですけどね。アルバムも出して曲の幅も広がったし、間口は広くなったのかなと。

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