昨年11月、アニメ『チェンソーマン』のエンディングテーマ『ちゅ、多様性。』が大バズりし、今年2月よりauのCM「三太郎シリーズ」に“あまのじゃ子”として出演、4月からは火曜日の『オールナイトニッポン0』のパーソナリティを担当し、テレビ東京で冠番組『あのちゃん電電電波』がスタート。
その後もテレビ、CMの出演増で、今秋にはダブル主演映画『鯨の骨』も公開。SNSやラジオ、テレビ番組、イベントなどで何か発言するたび、ネットニュースに取り上げられるほど注目を集め、あれよあれよという間にお茶の間に浸透していったアーティストのあのちゃん。
その存在はアイドルグループ「ゆるめるモ!」に加入した頃からライブアイドル界隈では知られていたが、脱退後、コロナ禍を経て大ブレイク。アイドル時代を知っている人はその突然の売れ方に驚き、知らない人は「何者?」と思っている人たちも多いことだろう。
そこで、改めて彼女の魅力を知るため、経歴と過去の言動、識者のコメントをもとに、なぜ売れたかを考察したい。
ブレイクの理由①自分を変えたいという強い意志
あのちゃんが「ゆるめるモ!」に在籍していたのは、2013年9月〜2019年9月の6年間。『チャンピオンRED』(2014年7月号)で受けた初インタビューによると、加入のきっかけは、当時、学校でのいじめがきっかけで家に引きこもり、Twitter廃人になっていた時に見かけた新メンバー募集のツイートだったそう。
(2014年7月号 チャンピオンRED連載「アイドルのルツボッ!」インタビュー)
その後もずっと無視していたが、何度もメッセージが送られてきたため、ライブを見学することに。
(同上)
ここで初めてプロデューサーの田家大和氏と対面し、グループのパフォーマンスを見て加入を決めたそう。
(同上)
頑張ってライブを見学し、興味をもったアイドルの世界へ飛び込んだあのちゃん。学校生活に馴染めなかった時期のことは、ゆるめるモ!のMV『うんめー』でも話している。
では、デビュー当時から売れる片鱗はあったのだろうか。田家氏とともに著書『ゼロからでも始められるアイドル運営』(コア新書・2014年6月)、『10年続くアイドル運営術』(コア新書・2019年9月)を企画・執筆するなど、「ゆるめるモ!」を結成当初から知る、ライターの大坪ケムタ氏に話を聞いた。
「デビュー2回目のライブを見たと記憶してるんですが、その時は今まで見たアイドルの中でも一番ガチガチに緊張してる女の子だなと思いました。それが存在感込みで印象的になったのは、ゆるめるモ!が渋谷wwwで主宰した『箱めるモ!』(ゆるめるモ!×箱庭の室内楽のコラボアルバム)のリリースパーティー(2014年2月)。グループ自体が数ヶ月前とはガラッと変わった堂々としたライブを見せた中で、あのちゃんが『虎よ』でおそらく初のギタープレイを楽しそうに演奏してたのは、その後のライブパフォーマンスにもつながるものだったかなと」
そもそも、ゆるめるモ!の名前の由来・コンセプトは、「窮屈な世の中を“ゆるめる”」「You’ll melt more!(あなたをもっとトロけさせたい)」から。田家氏が掲げた「辛いときは逃げればいいじゃん」というテーマや柔軟な考え方もあのちゃんにハマったのではないだろうか。
「だからこそあのちゃんは見つかったし、今に至る成長につながったのは間違いないと思います。加入当時、8人組という色々なキャラが居る中で、もともと引きこもりだった彼女がアイドルとして成長していくというのは、グループのテーマに沿う大きな存在でした」(大坪氏)
また、その存在はファンだけでなくアイドルを目指す人たちにも影響を与えることになる。かつて、元でんぱ組.incの最上もがの登場で金髪ショートが広まったように、あのちゃんの髪型やファッションなどに影響を受ける通称“あのギャル”も生まれ、一時代を築いたのだ。
「ミスiDもゆるめるモ!と近い時期のスタートだと思うんですが、どちらも陰陽でいえば“陰の子もアイドルになれる”という、地下アイドルというジャンルを具体化した存在と言えると思います」(大坪氏)
田家氏は、『ゼロからでも始められるアイドル運営』で、「彼女の自分を変えたいという意志が、彼女を成長させた」と綴っている。ブレイクの根底には、自分を変えたいという強い意志はもちろん、壁を打ち破るためのたゆまぬ努力があるからではないだろうか。