ずっと過酷だったけど、すごく幸せな5年間でした
今、「気持ちのゆらぎ」というワードがありましたが、心が折れそうになったタイミングって結構あったんですか?
- 阿部
ありましたね。『何人(なんびと)も』でやった“殺陣”とかも、「ここまで本当に重い木刀を振り回す必要、ある!?」とか、「殺陣で選抜を決めるって、これあんまりアイドル関係ないよ!」とか……(笑)。
まぁ、活動していく中でわかりやすい「アイドルのパフォーマンス」とは違うバトルも多かったですし、3歳からアイドルだった阿部さんがいろいろ思うのはわかる気がします。でも、そんな中で阿部さんのモチベーションを保ったものって?
- 阿部
性格が大きいと思います。私、昔からとにかく諦めが悪くて。「もし自分が辞めたあとにグループがもっと大きくなったら」って、いつも思っちゃうというか。小さい頃から気づいたらアイドルだったんですけど、どこに所属していても自分からグループを離れたことってなくて。それって「まだチャンスがあるから、だったらそれに懸け続けなきゃ」って思う性格だと思うんです。
なるほど。
- 阿部
あとはリスペクトできるメンバーの存在もありました。(間島)和奏ちゃんはどんなバトルでも、負けが続いていたとしても「私は自分が好きなことをやります」って言い続ける芯がかっこよかったし、(小澤)愛実ちゃんとかも、常に過酷なラストアイドルの中でも、どんなときも一番前向きで、アイドルでしたし。メンバーのそんな姿を見て、「この子たちとこの先も頑張っていきたい」と思えた部分がすごく大きかったです。
メンバーに奮起させられることはありつつも、「このグループにはまだ希望、チャンスがある」という思いでグループの中心に立ち続けるって、相当な重圧もあったと思います。
- 阿部
それはそうですね。振り返ると『バンドワゴン』のオーディションのときに自分で「センターになりたいです」って言って入ってきたんですけど(笑)、はじめて52人(ラストアイドルの最大同時在籍数)の先頭に立って、それを鏡で見たときなんかは、もう怖かったです。
でも、そんなメンバーひとりひとりが頑張っている姿を見ながら、「こんなに大変な思いをしているんだから、みんな幸せになってほしい」って思いで私もやってこれたんだと思います。
ファンは阿部さんにも幸せになってほしいはずですよ。
- 阿部
幸せでしたよ(笑)。ずっと過酷で、大変ではあったけど、やっぱりラストアイドルは恵まれていたなって思うし、居場所があるってすごく幸せなことだなって思いました。約5年間活動する中で、性格的にも明るくなったんですよ。
たしかに、昔より饒舌な気がします。
- 阿部
「これがきっかけだった」っていうのはわからないんですけど、ファンの方からも「すごく笑うようになったね」とか「こんなに喋るようなったんだねー」って言っていただくんです。
最初の頃なんかは、握手会でも抑揚なく「はい! ありがとうございます!」だけのロボットみたいな返ししかできなかったんですけど(笑)、ちゃんと人間っぽくなったなって思います。