INTERVIEW

INTERVIEW

2024年の夏を走り抜けたダチョウアイドル・琴吹ゆず(RiNCENT#)インタビュー「バズったのは、おちゃらけタイプの母の遺伝のおかげかも」

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亡くなった母もすごい喜んでいると思う

子どもの頃から一芸をするような性格でしたか?

  • 琴吹

    小さい頃はよく庭を走り回っていたんですけど、やっぱ成長するにつれて思春期とかで、全く何もしてなかったと思います。元々、人前に出るのが好きなタイプじゃなかったので、小中高とだんだんおとなしい感じになって。「前髪伸ばした方がかっこいい」みたいな、中二病みたいな時代はありました(笑)。

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尖ってたんですか?

  • 琴吹

    尖ってましたねえ〜。不良とかではなく、中学生くらいの時にニコニコ動画にめちゃくちゃハマって。中学3年生くらいの時に「踊ってみた」を始めました。学校にバレないようにマスクをつけて投稿したり、ニコ生を始めたり。結構、その時期は朝まで配信してほぼ寝ずに学校に行くこともありました。サブカル大好きそうな、アクティブな陰キャです。

その時の活動がアイドルにつながっているわけですね。

  • 琴吹

    そうだと思います。「踊ってみた」にハマって、そこからアイドルさんを見るようになったし、「ダンスっていいな」って思うようになりました。一番好きだったアイドルは、Buono!さんです。

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何がきっかけで、アイドルをやろうと思ったんですか?

  • 琴吹

    大学を卒後して、「踊ってみた」をやりながら1年半くらい社会人をやっていたんですけど、しっくりこないし楽しくないなって。

どんな仕事だったんですか?

  • 琴吹

    地元のドラッグストアです。お給料がちょっと良くなるから、管理栄養士の資格も取りました(笑)。田舎だから店内は広いし、通路もたくさんあって、動き回ってましたね。

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楽しくなかったのは、仕事がマンネリというか物足りなかったから?

  • 琴吹

    そうですね。「踊ってみた」がきっかけで、幕張メッセの「ニコニコ超会議」や、さいたまスーパーアリーナの「ニコニコ超パーティー」とかにちょっとだけ出させていただいたりして、刺激的なライブとかを経験しちゃっていたので、楽しいことを知っちゃっている。

すごい、そんなに大きい会場に立っていたとは。

  • 琴吹

    それと、その頃に母が亡くなって。その時に、「このままここにいても楽しくないまま終わっちゃう、やりたいことをやろう」と思って。ちょうど友達からアイドルグループを作るから入らないかって話があって、上京しました。

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お母さんが背中を押してくれたんですね。

  • 琴吹

    はい。でも、上京はしたものの静岡が活動拠点のグループだったのと、コロナ禍で思うように活動できなくて。人生を賭けて上京してきたので、「もっと東京で活動をしたい」と思って、RiNCENT#(前身のグループ名は「凛cent」)のオーディションを受けました。

バズった姿、お母さんにも見てもらいたかったですね。

  • 琴吹

    見てもらいたかった気持ちもあるんですけど、良く言うと、いないからこそ出来たことでもあるし。その分、父も姉も親戚も見てくれて、母もすごい喜んでいると思います。母もおちゃらけタイプの人だったので、今回のバズりはその遺伝のおかげかも(笑)。「アイドルを始めるの遅かったな」と考えたりもするんですけど、今はそれで良かったなって思えます。

バズった時、お父さんとお姉さんの反応はどうでしたか?

  • 琴吹

    お父さんは、ダチョウを「やってみました」ってLINEがきて。「腕が痛いですね」って(笑)。姉はライブに来てくれて、一緒にダチョウのポーズで写真を撮りました。やっぱり遺伝ですね、上手でした。

お父さんのノリも、ダチョウ姉妹も、家族仲良しでいいですね。