服飾とアイドル。どっちかが疎かになるのが嫌だった

HKT48を卒業して2年以上が経ちました。高校卒業と同時でしたね。
- 渡部
そうでした。高2から進路について考え始めました。当時はコロナ禍だったので、家から出られなくて、アイドル活動が思うようにいきませんでした。もしかしたらコロナ禍じゃなかったら、その後の人生は変わっていたかもしれません。ただ、その時は人生に行き詰まっていたので、その決断をするのが私としては自然でした。「卒業するなんて早いよ」という反応もありましたけど……。
でも、メンバーには高校卒業を機に辞めそうだと気づかれていました。仲のいいメンバーには伝えていましたし。仲がいい子たちは「あ~、そっか……」という感じでしたけど、「何かが嫌になって辞めるわけじゃなくてよかった」とも言われました。
前向きな卒業でしたからね。その後、服飾の専門学校に入学するわけですが、以前から興味があったんですね。
- 渡部
はい。昔からミシンで小物を作るのが好きでした。本格的に好きになったのはコロナ禍で家にいた時です。いろんな種類の服を着るのが楽しくて、もっと勉強してみたいと思ったんです。そもそもアイドルの衣装も好きでしたから。
福岡にも服飾の学校はありそうですよね。HKT48を続けながらという選択肢はなかったんですか?
- 渡部
福岡にも学校はありますけど、スケジュール的に両立は厳しそうだったんです。朝から夕方までびっしり授業に出て……となるとアイドルはできません。どっちかが疎かになるのが嫌だったので、大きな決断をしました。

専門学校の2年間はどう過ごしていましたか?
- 渡部
ファッションビジネスの授業もあったし、縫製の授業もありました。友達ができたおかげで楽しさが倍増しました。独りぼっちだったらただの作業になっていたと思うけど、楽しみながら勉強できました。
卒業制作ではドレスを作りました。コンセプトを考えるところから始めて、それなりの日数もかかりました。布は日暮里まで週イチで通って探しました。日暮里って生地が置いてあるお店がたくさんあるんです。ドレスだからいい生地を使わないと安っぽく見えちゃうので、組み合わせにもこだわりました。
となると、将来は服飾関係に就職しようと考えるものですよね。
- 渡部
それが、卒業直前にインターンで働いた時に考えが変わったんです。洋服屋さんで働いたんですけど、その仕事が楽しいと思ったら、その道に進もうと決めて臨んだんです。仕事の内容は新商品が入荷したら検品をしたり、棚に入れたり、商品をたたんだりという店舗業務が中心でした。「それがしたいか?」と自分に問いただしたら、そうではなかったというのが正直なところでした。今、何がしたいのか、改めて考えてみると、ファンの方とお会いする仕事をしてみたいなということでした。その結論が出せたという意味で、インターンの経験は大きなものでした。
といっても、服飾は変わらず好きなので、いろんな服を着られるモデルさんをしてみたいですし、しゃべることが好きなので、ラジオの仕事ができたらいいなとも思っています。機会があれば、舞台も経験してみたいな。

