船がなくなった時、これからSTU48はどうなるんだろうって……

ここからは、結成からこれまでの話を訊いていきます。STU48は2017年に結成されましたが、世間的なビッグイベントである選抜総選挙は2018年を最後に開催されていません。総選挙について先ほども少し出ましたが、そのことについてどう考えていますか?
- 福田
すごく悔しいです。私は総選挙に2回参加はしたけど、「ただ連れて行かれて、そこにいただけ」でした。それも悔しいんです。もっと力をつけた状態で総選挙があったら、STU48に勢いがついたのになっていう思いが強くあります。48は小さい頃から見てきたから、総選挙にも憧れがあったので。
- 岡田
私はコロナ禍の後に加入したので、一度も経験していないんです。48グループの横の連携は「歌唱力No.1決定戦」くらいです。私も小学生の時に、AKB48の「ぷっちょ」を集めていて、憧れて入ってきたので。
グループ結成時には、AKB48から岡田奈々さんが兼任という形でSTU48に力を貸してくれました。どんな先輩でしたか?
- 福田
私はAKB48グループのファンだったので、握手会にも行ったことがあります。初対面の日は完全にファンみたいに接してしまいました(笑)。私たちにとっては、芸能界をイチから教えてくださった方です。私が卒業しようと思っている時、奈々さんに相談したこともありました。その時、「48グループにいるんだから、その力をもっと活かしてから辞めたほうがいいよ」って言われたんです。実際、その言葉通りに48グループの力をお借りして、今でも活動しています。

結成してしばらくしてからSTU48号が誕生しました。しかし、コロナ禍によって約2年で役割を終えてしまいました。
- 福田
今となっては、船があったのが不思議な感覚で、まだ実感がわいていないです。宇品港に行けば、まだあるんじゃないかって思ってしまいます。東京でライブする時もSTU48号が乗りつけるわけですから、楽屋と客席の景色が一緒なんです。でも、船から見える海の景色は違う。そんなのって他にないじゃないですか。すごいプロジェクトのアイドルグループだと思います。船がなくなった時は、これからSTU48はどうなるんだろうって不安になりました。48グループって劇場ありき、ですから。
- 岡田
私は船に間に合っていないんです。船に乗って、公演したかったなぁ……。同期には、「STU48号を復活させたい」とオーディションの時から言っている子がいて……。
- 福田
諸葛望愛ちゃんね。頼もしい(笑)。

広島の大会場といえば、広島グリーンアリーナです。5周年コンサートで立つことができました。
- 福田
ただ、私は香川出身なので、グリーンアリーナでできることがどれくらいすごいのか、よくわかっていなかったんです。リハーサルで会場に立って、こんなに大きいんだって初めて実感しました。アンコールで広島カープのユニフォームを着て、一人ずつ登場した演出は、広島でアイドルやってるんだなと思えました。トロッコに初めて乗ったのもグリーンアリーナです。特に思い出に残っているコンサートです。
- 岡田
私はお披露目がグリーンアリーナだったんです。あんな大きな会場に立てるんだという喜びもありましたけど、あまり覚えていないくらい緊張していました。ただ、ペンライトのきれいさは感動的でした。アイドルになって一発目の景色がそれだったので、アイドルになったんだって実感しました。
3年前、シングル『花は誰のもの?』がグループ最大のヒットを飛ばしました。
- 福田
発売してから数か月経ってから評判が上がってきた曲です。『ミュージックステーション』には2回出演させていただきました。この前、この曲っていつだっけと思って調べてみたら、もう3年前でした。その当時、毎週のように歌番組に出ていたんです。『Mステ』『COUNTDOWN TV』『FNS歌謡祭』、そしてNHKの番組にも。今だったら考えられません。一番よかったのは、広島に住んでいる私たちが平和を歌っていることをたくさんの方に知ってもらえたことでした。ただヒットしただけじゃなく、STU48として一番いい売れ方だったと思います。

- 岡田
私は加入した年だったので、歌番組に出ている先輩たちを家のテレビで見ていました。小さい頃から見ていた番組に先輩が出ているのが不思議でした。録画したのを何回も見て、私もいつか出られるようになりたいという夢を持ちました。
- 福田
あの曲で『NHK紅白歌合戦』に出場できるんじゃないかと、ファンの方が期待してくださいました。私たちは、半分は「行けないでしょ」と思いつつも、半分は本気で「行けるでしょ」と思っていたから、すごく楽しい時期でした。結果はダメだったけど、あのワクワク感が楽しかったです。