つんくさんとの出会いは『つんつべ♂』
女川での経験が「コロナ禍」にも活かされたと。当時、持続化給付金の発信も話題になりました。
- 寺嶋
「私が発信してもいいのかな」と迷ったんですけど、オタクのみんなに大事にしてもらいながら続けられているアイドル活動を守らないといけないと思ったし、ちょうどあの頃、ディアステージを離れてフリーになることが決まっていたから、ちょっと踏み込んだ発信をしても誰にも迷惑かけないかなと思ってやりました。
今年の能登半島地震もそうですが、ここ十数年でライフスタイルが一変するくらい、色々なことが起こりました。
- 寺嶋
コロナ禍は本当にイヤだったけど、オンラインライブで地方のオタクが「現場に行けなくてもライブを見られて良かった」という前向きなコメントを残してくれたり、オンライン特典会も「直接会えないけどこれ楽しいのかな?」と不安に思いながらも始めたら、みんな、部屋に飾ってあるグッズや、ペット、時には赤ちゃんを映してくれたりして、すごく楽しんでくれて。そのおかげで私も楽しくやれたし、大変だった時期をアイドルのまま乗り越えられました。
「アイドルのまま」っていうのは重みありますね。先ほど、ディアステージからフリーへの話が出ましたが、「これまでの事務所のみなさん」についてはどうですか?
- 寺嶋
前のグループを辞めた後は、加茂さんのグレートハンティングに始まり、ユニバーサルミュージックのメジャーレーベルが付いて、移籍してディアステージとテイチクの体制になって、今はテイチクさんに付いてもらいつつフリーという流れで。いろんな会社さんとやらせていただいたからこそ今がありますし、組織の違いを色々見られたのは良かったなと。
ご自身の意見も通りやすかったですか?
- 寺嶋
多分、ソロだからグループよりは通りやすかったと思います。それに、私よりゆるキャラのことに熱心な人はいないし、皆様に付き合っていただきつつ、結局、「自分でやるっきゃないかな」と思うところもありました(笑)。
自立していますね。楽曲について意見することはありましたか?
- 寺嶋
楽曲に関しては、リリースタイミングなどは自分で決められることではないので、作り始める段階では、ほとんど自分の意見はなくて。唯一強く言ったのは、『#ゆーふらいとⅡ』を作るとき。私、B’zが大好きで、30周年ツアーを観に行った時に、『LOVE PHANTOM』のアンサーソングを聴いて。それで、「私もアンサーソングっていうのをやってみたいです!」っていうのは言いました。
推しの影響(笑)。昨年は「つんく♂」さんからの楽曲提供もありました。
- 寺嶋
つんく♂さんに関してはテイチクさんからです。私は、「曲を書いてもらいたい」とずっと思っていたけど、恐れ多くて具体的に言ったことはなくて。けど、滲み出てはいたと思います(笑)。ハロプロじゃないアイドルがつんく♂さんに書いてもらっているのを見て、「えっ、そういうパターンあるの? いいなあ……」と思っていたけど、まさか自分に書いていただけるとは。
憧れの人に作ってもらって、思い出に残っていることはありますか?
- 寺嶋
つんく♂さんに一番最初にお会いしたのは『つんつべ♂』(2011年〜2018年にMXで放送されていた音楽バラエティ番組)の時。前のグループにいた時に、私がすごく浮いていたのを覚えてくださっていて。その上で、ソロ10年間の活動を踏まえて作詞作曲をしてくださったというのを聞いて、感動しました。
覚えていただけでなく、活動も把握していたことは嬉しいですね。
- 寺嶋
「ソロアイドルの覚悟と孤独」をテーマに、宇宙のようなスケールの大きさもありつつ、私が好きな松浦亜弥さんの曲に似ているフレーズが入っていたり、すごくつんく♂イズムを感じる曲。あと、加茂さんがつんく♂さんのことをリスペクトしているので、私の中では、2人のクレジットを並べられてちょっとは加茂さんに恩返しできたかなと思っています。