「志乃ちゃんが入ってきたのは必然的なことなの」
そうして受けたアプガ(仮)の新メンバーオーディション。実は最終選考まで進んでいたと聞きました。
- 鈴木
進んでたんですけど、そこで私は辞退しちゃったんですね。「アイドルになりたい」、「社風が私と合うかも」って思ってたのに、いざ入れるかもってなったときに、「もう21歳だし、歌えないし踊れないのに、私なんかが入っちゃダメじゃない?」って。急に尻込みしてしまって。
あと一歩だったのに……。でも、大人になってから勝手が違う芸能界に飛び込むのは怖いですよね。
- 鈴木
「無理かもしれない」って。で、自分で辞退したくせに、終わってから「なんで辞めちゃったんだろう」ってものすごく後悔して。そこから1年間くらいですかね。YU-Mのサイトの、オーディションページを毎日見に行くようにしてたんですよ。ずっと(仮)さんのオーディションが書かれたままだったんですけど、毎日毎日「オーディションないかな」って。
この頃にはもう「YU-Mに入りたい」だけになって。とはいえ毎日見に行くのはすごい熱意です。
- 鈴木
本当に。で、ある日ページを開いたら、その欄がアプガプロレスの募集になってて。1年間待ってた分の「早く来て!」の想いがドカッと出て、「痛い、怖い」のイメージとか、自分が運動経験がないこととか、どうでもよくなりました。すぐに「プロレスってそもそもどういうものなんだ」って調べたり、先輩方のオーディションの動画を見返して「こうすれば選ばれるかもしれない」って対策したりして。
結局、最終的には締切ギリギリまで応募を悩んじゃったんですけど、でもとにかく「YU-Mに入れるなら」って気持ちで挑戦しました。
なるほど。かなり紆余曲折ありましたが、そういう想いでアプガプロレスに辿り着いたんですね。
- 鈴木
「アイドル×プロレス」っていう何も知らないところに飛び込むのは怖かったですけど、でも本当に飛び込めてよかったです。最近、ようやく思えるようになったんですけど、今このグループで活動できてるのも、それまでの全部も必然だったんだなって。
必然?
- 鈴木
アプガプロレスに『SHINING MARK』って曲があるんですけど、もともとはらくさんと(渡辺)未詩さんの歌割りだった“ここが私のステージ”ってパートが、“(ワタ)シノ”ってフレーズがあるって理由で私のソロになったんですよ。
その歌割りの話をしていたときに、未詩さんが「ここのフレーズは“ワタちゃん”って人か“シノちゃん”にしか渡せなかった。だから志乃ちゃんが入ってきたのは必然的なことなの」って言ってくれて。私がアプガプロレスにたどり着くまでの24年間を、その一言でグッとまとめてくださったんです。
渡辺さんも、鈴木さんがメンバーになりながらも不安がっていたのを感じ取ったんですかね。先輩からそう言われるのは救われますよね。
- 鈴木
ありがたかったです。おかげで今、やっと自分のこれまでを肯定できるくらい充実しています。