元看護師がコロナ禍で体験したリアルな現場
早速ですが、看護師からアイドルになった経緯を教えてください。
- Yukino
最初は、妹に夢アドさんのオーディションを一緒に受けてほしいと言われて応募したんですけど、結局、妹は「面倒くさい」って言って受けなくて(笑)。私は、アイドルになりたいわけではなかったんですけど、看護師になって1年目で悩んでいたこともあって、受けるだけ受けてみようかなと思ったんです。それで、いざオーディションに行って同世代で頑張っている人たちを見たら、私は当時22歳だったので、アイドルになれるとしたら今が最後のチャンスかもしれないしチャレンジしてみようと思ったんです。
看護師を辞めるに至った悩みは何だったんですか?
- Yukino
元々、若い世代に発症することが多い難病が専門の科に入りたくて、希望通り入ったんです。だけど、救急病院で三次救急(※)だったこともあって、結構コロナの患者さんが多くて。自分が望んでいた専門の看護だけでなく、それ以外の患者さんも受け入れる感じになってたんです。もちろん、どんな症状でも全力で看護にあたっていましたが、「本当にやりたかったことをやれていない」と思い始めて、そのまま病院に残るか悩みました。
(※)一次救急ほど受け皿が多く、三次救急になるにつれて症状が重かったり特殊。緊急性も高く、対応できる医療機関が限られてくる。
希望した科に就いたものの、ちょうどコロナの時期で思わぬ事態だったんですね。
- Yukino
はい。国家試験が2019年2月くらいで、そのくらいからコロナが流行り始めて。看護学校を卒業して4月に入職した時には、すごく流行っていました。
やはり、コロナ禍の看護は大変でしたか?
- Yukino
看護師の先輩に「30年以上働いているけど、こんなに忙しかったことはないよ」って言われるくらい大変でした。結構、オペの患者さんが多い科にいたんですけど、コロナに対する制度がはっきりしていなかったから、ちょっと熱があるとオペが延期になったり、面会制限で家族や友達に会えないまま亡くなっていく方もいて。そういうのを見てツラくなったりもしました。
1年目からハードでしたね……。
- Yukino
それでも、「看護師さんのおかげで生きているし頑張れるから」と言ってくれる方もいるし、家族の方にも頼ってもらえる。その中で、元気に退院する患者さんもいたし、治らない病気だったとしても一緒に挑戦したり解決したりして。忙しくてもやりがいはありました。
患者さんに寄り添っていたんですね。ちなみに、どうして看護師になろうと?
- yukino
私が5歳の頃から4年間ほど、母が病気で入院していて。その間、看護師さんが病棟で働いているのを見て、自分もやってみたいなと思ったのがきっかけです。
その夢をまず叶えたことがすごいです!