INTERVIEW

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木﨑ゆりあが30歳記念の写真集を発売!「しんどくて休業した時期があったから、今の自分があるなって思います」

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しんどかった時期に一番支えてくれた家族とNON STYLEの石田さん

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ということで、卒業後のことを聞いていきたいなと。そもそも21歳で卒業したんですよね。今考えると早いなと。

  • 木﨑

    今は20代後半ぐらいまでいるのが主流になってるけど。当時はあっちゃん(前田敦子)も21歳で辞めたり、みんな早めにアイドルを卒業してましたよね。私も13歳から始めて、毎日やりがいもあったから、20歳で辞めるっていうのは決めてました。

次は女優をやるって決めていたんですか?

  • 木﨑

    17歳ぐらいで、本格的に女優さんやりたくなって、お芝居の仕事がやれるように、これからどう過ごしていこうかなって思っているときに、SKE48からAKB48へ移籍となって。

ファンの間で衝撃が走りました。

  • 木﨑

    もちろんAKB48のためにいろんな活動しながら、卒業に向けて進んでいた感じはありますね。私はアイドルに憧れていたとかでもないし、ずっと続けたいとかもなかったから、だからこそアイドルは20歳までって。

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でも実際に卒業したのは21歳でした。

  • 木﨑

    秋元(康)先生に「1年ちゃんと準備しなさい」って言っていただいて。なので1年間引き延ばして、卒業って形になりました。

そこからの10年、20代はふり返ってどうでしたか?

  • 木﨑

    本当にいろんな人に支えてもらったなって思います。手を取って、肩を支えてもらいながら生きた10年だったなって。たくさん泣いたし、たくさん笑ったし、一番感情があふれた10年だったなって思います。

2021年に「心身とも体調がすぐれず」休業していた時期がありましたよね。そこはふり返れるようになりました?

  • 木﨑

    今は全然ふり返れます。全部がマイナスじゃなくて、自分の今のプラスに変わってるからこそ話せる話もいっぱいあって。3年ぐらい経ったときに、やっと言葉にできるなって「note」に書いたんですよ。

     どういう流れでその症状になったから、病院に通わなきゃいけない状況に気づくまでの時間とか、気づいてからやらなきゃいけなかったこととか、誰が支えてくれたかとか。そういうのも本当にこと細かく書きました。

木﨑ゆりあnote https://note.com/yuriakizaki

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誰に支えたもらったんですか?

  • 木﨑

    一番支えてくれた2大巨頭。まずはパパとママ。あとはNON STYLEの石田さん、石田家ですね。その2つがなかったら、もうこの業界にもいなかったかもしれないぐらい。

漫才師の石田さんですか!?

  • 木﨑

    東京にいるときはほとんど石田家に寝泊まりして、ご飯も毎日食べさせてもらって。

石田さんと知り合いだったんですね。

  • 木﨑

    昔、舞台で共演させていただいたんです。そこから連絡を取るようになって。しんどい状態になったときに、最初は誰にも言えなかったんですけど、唯一石田さんにだけ連絡したんですよ。石田さんもそういう経験があって、芸人さんたちの中では精神科医みたいに言われていて。連絡したら、「とにかくウチに来い」って。そこで泣きながらいろんな話をして、子供たちと一緒に遊んだり。石田さんの奥さんも一般の方なんですけど、石田さんと初めてお会いしたときから、「俺の奥さんと絶対ゆりあは仲良くなる」って、言ってた方で、実際にそうで。

もう石田家の一員じゃないですか。

  • 木﨑

    東京の実家みたいな。家族ぐるみの付き合いになりましたね。うちの愛知の実家にみんな遊びに来たことあるし、うちのパパママも石田さん家にお邪魔して、ご飯とか食べたことあるし。

休業しているとき、木﨑さんの実家ではどんな感じだったんですか?

  • 木﨑

    実家で数ヶ月何もしないで、家にあるものを全部捨てて。何もなくなったから「壁の色変えたい」って言って。その頃、黄色と水色が好きだったから、天井を黄色にして、壁を水色に、パパと一緒にペンキで塗って。

     実家に帰ると当時を思い出すし。でも本当何も言わずに受け入れてくれて、ただ一緒にいてくれたのが嬉しかったですね。

同期の須田亜香里さんとずっと仲良かったじゃないですか。連絡は取らなかった?

  • 木﨑

    須田ちゃんって私の中では、当時は頑張ってるところを見せたかった人なんですよ。須田ちゃんが頑張ってるから私も頑張らなきゃって。自分が出てるドラマを「見てよ」って言いたい人だったから、弱音がそんなに吐けなかったかもしれないですね。半分ぐらいは名古屋にいるから、連絡してもいないことが多かったりして。入山(杏奈)は東京だから、やばかったときは、すぐ来てくれてっていうのはありましたね。

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