ガラスガールNEXTでお送りする、毎月さまざまなアイドルが登場しフリーダムに執筆する「マンスリーアイドルコラム」。
2026年4月火曜を担当するのは、アップアップガールズ(2) の兵頭美波。
彼女のコラムは今月7日、14日、21日、28日の全4回配信。
第1回目のコラムは、彼女が“収集”してしまうお話。
ちなみに、火〜金曜それぞれ初週はガラスガールNEXTに未加入の読者も閲覧可能。来週以降はぜひ、ガラスガールNEXTへご加入を。
私にとってそれらはただの「モノ」ではない
ガラスガールをご覧のみなさん、はじめまして!
アップアップガールズ(2)の兵頭美波です。
黒髪ロングの赤色担当、特技はリボン結びとトランペットです。
2025年11月30日に新メンバーとしてグループに加入し、活動を始めてから約4カ月が経ちました。
私は、自分の気持ちや考えていることを表で伝えることがとても苦手なのですが、今回ガラスガールさんにてコラムで自分の思いを言葉に残す機会をいただき、とても嬉しいです。 ここでは、毎回テーマに合わせて私の心の中を深堀し、それを形にできたらと思います。
みなさんがついつい読み進めてしまうような、楽しんでいただけるようなコラムをお届けできるよう努めますので、ぜひ最後までお付き合いいただけると幸いです!
今回は、ありのままの私の生活や性格を分析し、深堀できるテーマでお届けします。

「私には、収集癖がある」
この一言を聞いたとき、どのような人物を思い浮かべるだろうか?
私は、ヲタク気質な人なのかな、という印象を受ける。
この一言では自己紹介としてはあまりに簡潔すぎるが、私の生活の基盤となるものを一言で表すには的確で十分な言葉だ。
収集癖、一口にいっても、その形は千差万別だ。何を、どれくらい集めるのか、どう保管するか、どこで満足するのか。それは、その人の数だけスタイルがあり、その人の価値観が表れる。
私の場合は、アイドルグッズやアニメグッズ、そしてシールといった、いわゆる「モノ」たちに私の日常は彩られている。
しかし、私にとってそれらはただの「モノ」ではない。
収集のきっかけはいつも純粋でささやかだ。
中でも、ランダム商品が定番となっているグッズの世界は、私にとって必要不可欠な存在であり、抜け出せない沼でもある。
はじめは、推しを引き当てたい、あの目当てのアイテムが欲しい。そんな純粋な願望から、私はカードを切り、くじを引く。
狙いを定めたアイテムが手に入った瞬間の、人目を気にせずつい飛び跳ねたくなってしまうようなあの高揚感。それは、何物にも代えがたい喜びだ。
しかし、私の収集癖はそこで止まることを知らない。
手元に複数種類のアイテムが揃ううちに、目標は「目当てを引き当てたい」から「すべてコンプリートしたい」へと、静かに、しかし確実に進化していく。そうなると、もう私の手は止まらなくなる。その日の自分が「満足した」と感じるまで、ひたすら購入を繰り返し、毎回、大量のグッズという名の「幸せ」を抱えて帰宅する。
自宅に持ち帰ったグッズたちの、その後の運命はどうなるのだろうか。
これもまた、人それぞれこだわりがあるだろう。
美しくファイリングや分類、陳列等をすることを楽しみとしている人も多いのではないか。
私の場合は、「未開封」だ。
生写真もアルバムにファイリングすることなく、購入時の袋からも出すことすらしない。もちろん、アクリルスタンドにしてもそうだ。近年、景色や食事と一緒に写真を撮るのが流行しているが、私は持ち運び用と保存用と、最低でも2つは必ず購入する。そうしないと、手元にある「開封していない」という状態を維持できないからだ。
そして、購入する際にも「この1個は絶対開封して使うぞ」と、強く、強く、自分に言い聞かせなければ、それすらも開封できない。いざ開封する時が来ても、どこか喪失感を感じてしまうことさえあるのだ。
アイドルグッズに目を向けてみる。
私が特定のアイドルのグッズに惹かれるのは、単にそのアイドルを応援したいという気持ちだけではない。それは、アイドルが生み出す輝き、尊い瞬間、そしてそれを共有するファンとしての体験そのものを、形にして手元に置きたいという心理がはたらいているのだと思う。
CDやDVDはもちろんのこと、会場限定の生写真、アクリルスタンド、キーホルダー、トレーディングカード…。
特にランダム商品は、私にとって「沼」とも言える存在だ。

初めて憧れのライブに行けた中学生の時、会場に並ぶグッズの列は、ライブ本番と同じくらい、楽しみでワクワクする体験だった。ライブに行った記念に、と引いたランダム生写真。推しを引き当てた時の喜びは格別だったが、気がつけば「コンプリートしたい」という欲求が生まれていた。
限定のCDやDVD、ファンクラブ限定商品、BOXセット。お財布が許す限り、いや、底が見えるまで、すべてを手元に置きたい。
ランダム生写真に至っては、運が良ければ目当てが出たその時点で満足できるのかもしれないが、多くの場合、「次はあれが欲しい」という思いに駆られ、気がつけば大量の写真を抱えていた。
例えば、あるアイドルのライブに行った時のこと。会場限定のランダム生写真に心を奪われた。
推しのメンバーを引き当てる確率は低い。それでも「もしかしたら」という期待に胸を膨らませ、次々と購入する。箱買いするほどの覚悟はないが、満足できるまで、あるいは予算が尽きるまで、その列から離れられない。
購入後、開封する時のドキドキ感は、まるで宝箱を開けるようなものだ。そして推しが写っていれば、その喜びもひとしお。
しかし、もし推しが写っていなかった場合も、決してハズレくじではない。それも私の心を満たす「モノ」である。あるいは推しを引き当てることができても「ほかのメンバーの写真もかわいい、欲しい」と思ってしまうと、すぐに次の「コンプリート」への欲求がじわじわと湧いてくる。
周囲の人たちとトレードする楽しみもあるが、それもまた、手持ちのグッズを「完璧」にしたいという気持ちを加速させる。
結局、開封された生写真がアルバムに整理されることはなく、購入時の袋に入ったまま、未開封のまま、他のグッズたちと共に部屋の隅へと眠っていくことになる。
気が済むまでランダム商品というくじを引き続ける、その行為自体が、ある種の儀式となり、私を安心させるのだ。 ランダムでなくても、大好きなアイドルがグループを卒業するときには、大量に発売される卒業記念グッズをすべて購入し、コンプリートした。「二度と手に入らないから記念に」と、買い始めたら止まらなかった。

その「未開封」という状態は、決して役目を終えた物質ではなく、「可能性」を秘めている希望のように思える。
いつか、このグッズが価値を持つ日が来るかもしれない、使用する日が来るかもしれない、あるいは、このグッズに込められた「大好きなアイドルへの想い」が、私を支えてくれるかもしれない、と。
そうやって、私は自分自身に言い聞かせ、また次の「沼」へと足を踏み入れていくのだ。
ライブ会場でのグッズ購入は、私にとって単なる消費活動ではなく、大好きなアイドルの尊い瞬間を形にして持ち帰る、そしてその瞬間をともに共有した自分自身を見出すための、一種の儀式なのだ。
その列に並ぶ時間、レジで商品を受け取る瞬間、購入して開封する瞬間、そして帰宅して部屋に置くまでのプロセス全てが、私にとって意味のある体験となっている。
特に、限定品という言葉には弱い。「今しか手に入らない」「この機会を逃したら二度と手に入らない」という言葉に、私の収集欲は強く刺激される。
それは、モノそのものへの執着というよりは、「限定」という言葉が持つ希少性や特別感に、自分自身が取り残されることへの恐れを感じているのかもしれない。

