ガラスガールNEXTでお送りする、毎月さまざまなアイドルが登場しフリーダムに執筆する「マンスリーアイドルコラム」。
2026年4月水曜を担当するのは、ソロアイドルプロジェクト・原宿眠眠として活動するminmin!
コラムは今月1日、8日、15日、22日の全4回配信。
記念すべき第1回目のお題は、彼女がアイドルを目指した道のり。そのひと筋縄ではいかない道行きをご紹介いただきました。
ちなみに、火〜金曜それぞれ初週はガラスガールNEXTに未加入の読者も閲覧可能。来週以降はぜひ、ガラスガールNEXTへご加入を。
優等生、理不尽に怒られたくなくてソロアイドルに
初めまして!
原宿眠眠というソロプロジェクトで活動しているminminです。2月末まではエレクトリックリボンというグループにも在籍していました。
今回は初回なので、私のことを知ってもらうべく、生い立ちやアイドルになるまでのことを書いていきます。

「原宿眠眠」を名乗っているけれど、生まれも育ちも富山県。
二人姉妹の姉で、小さい頃からちゃんと挨拶ができるしっかり者でした。
ゲームは1日30分まで。テレビは19時に消して読書をする。21時には消灯厳守。テストで100点を取らないと苦言を呈されるような家庭で育ち、習い事もピアノ、水泳、英会話、そろばん、ブラスバンドと日々大忙し。「優等生な自分」でいなければいけないんだなと思いながら育ちました。

アイドルに初めて憧れたのは、幼少〜小学生の頃。
モーニング娘。が全盛期で、「ミニモニ。になりたいな」と思っていました。あの頃は歌番組がたくさんあったので、毎日かじりつくように見ていたのを覚えています。
でも、小学校高学年になると「アイドルって恥ずかしい」と思う時期が来たのです。可愛い子ぶっていて、なんだかいけすかないな、と。思春期ってそういう時期ありますよね。友達の影響でティーン向けのファッション誌を読むようになり、徐々にアイドルへの熱は冷めていきました。
中学生になると学級委員になり、吹奏楽部ではホルンを担当。1年生のときからコンクールの選抜メンバーに選ばれ、周りから見れば順風満帆な学校生活だったと思います。
ただ、その裏でいじめに遭ったことがきっかけで、やがて不登校になってしまいました。親にも「そんなことで学校に行かないなんて情けない」と言われ、誰にも味方になってもらえず、完全に心が折れてしまった時期があったのです。
学校に行かない生活になり、生活は昼夜逆転。深夜のテレビ番組やYouTubeを眺めながら日々を過ごしていました。

テレビに出ている芸能人は、みんなキラキラ眩しく見えました。
その姿を見ているうちに、子どもの頃に抱いていた「アイドルっていいな」という気持ちが自分の中に戻ってきたのです。
その後はなんとか高校に進学し、友達もできて、楽しい学校生活を取り戻していきます。生徒会長も務めました。
この頃から夢に向かってオーディション情報を調べるようになりました。書類審査に通っても、次の審査は東京や大阪などの都会。夜行バスで一晩かけて審査を受けに行くこともありました。
面接はだいたい30秒から1分程度。名前と年齢を言って、一言アピールをして一瞬でおしまいです。そのために何万円もの交通費と、何時間もの移動時間をかけて挑みます。毎回緊張して、声も足も震えてしまっていました。落ちては泣いて、また立ち直っての繰り返し。このままでは若くて可愛い女の子としての賞味期限が切れちゃう。そう焦りつつも「絶対に夢を叶えるんだ」と、自分に言い聞かせる日々。
富山にいては何もできない。
「高校を卒業するタイミングで、絶対に東京に行くぞ!」
そう決意して、私は上京しました。

上京してからは、音楽の専門学校に進学しました。
それまでは、ハロー!プロジェクトや48グループ、坂道グループなど、いわゆる「地上」と呼ばれるアイドルを目指していました。中でもSKE48のオーディションで最終審査まで進んだときは、「ついにアイドルになれる!」とかなり期待していたぶん、落ちたときの悔しさは大きくて、3日間くらい泣き続けました。
やっぱり私は有名なアイドルにはなれないのかもしれない……。そう思い始めていた頃、「ライブアイドル」の存在を知ります。お客さんとこんなに近い距離でパフォーマンスをして、ちゃんと輝いている子たちがいるんだ! と純粋に魅力的に感じました。
上京して1年目。大手レコード会社が立ち上げたライブアイドルグループに加入します。しかし、その環境は決して理想的なものではありませんでした。運営のパワハラがあり、お給料は1円も支払われず、交通費や一部の衣装代は自己負担。毎日のようにライブやレッスンが続くので休みもなく、心身ともに体調も崩してしまいました。学業との両立も難しくなり、結果的にその事務所は半年ほどで辞めることになります。アイドルへの道はやっぱり険しかったのです。
音楽の学校では、自分で曲を作る友達が増えていきました。その影響もあって、私もシンガーソングライターとして活動を始めます。
アイドルと違って、自分の持ち曲さえあればライブハウスには誰でも出ることができる。事務所に所属していない分、理不尽に怒られることもないし、スケジュールも自分で決められる。自分で自由にやっていくほうが私には合っているのかもしれないな、と感じ始めていました。

その後、シンガーソングライターとして何度もステージに立ち、楽曲制作の経験も積み重ねていきました。でも、ある時「このままじゃ売れないな」と思ってしまったんです。
ただ自分が歌いたい曲を作って歌うだけではなくて、もっといろんなことを展開して、自分の世界を広げていかないといけないんじゃないか、と。
そんなときに出会ったのが、雑誌『Zipper』のモデルオーディションでした。そしてなんと私はグランプリを獲得します。オーディションでしっかり実績を出したのはこれが初めてです。
当時は週に4日くらい原宿に通って古着屋さんを巡る生活をしていました。原宿には、型にとらわれずに自由に自己表現をしている人たちがたくさんいて、その世界観に強く惹かれていきました。
「ファッションと音楽を融合させた、おしゃれで可愛い活動ができたら楽しいんじゃないか」そう思ったのがきっかけで、原宿眠眠を始動させます。

夢を抱いてから今の活動に至るまで、気づけばずいぶん長い道のりになっていました。ここまでのお話も少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
次回以降、私の日常や原宿眠眠の音楽について、そしてエレクトリックリボンを辞めてからの今後の活動についても、もう少し深く掘り下げていきたいと思っています。毎週水曜日、どうぞお楽しみに!
PROFILE
minmin(原宿眠眠)
みんみん
4月20日、富山県生まれのソロアイドル。グループアイドルやシンガーソングライターとして活動したのち、2018年、ツバサ・ミンミン名義でソロアイドルプロジェクト・原宿眠眠を始動させる。2023年から現名。デビュー以来、セルフプロデュース・セルフマネジメントで音源を制作し、また首都圏を中心にライブ活動。2024年発表の「2Time Klaxon」は、宇多丸(RHYMESTER)が2025年に聴いたアイドルソング第3位に輝いた。またDJ眠眠名義でDJ活動し、2022年から2026年までエレクトリックリボンの一員としても活動していた。
公式note:https://note.com/tsubasaminmin
文・写真/minmin
