駄々をこねていたら母から怒られました
卒業はいつから考えていましたか?
- 川上
考えるタイミングは今までに何回もあったけど、本格的に考えるようになったのは去年でした。でも、考えれば考えるほどグループ名の大きさを感じるようになって、なかなか踏み出せずにいました。NMB48にいるだけでいただけるお仕事ってたくさんあるんです。私はグループに甘えていたんだなって思いました。
卒業に舵を切れたのはどうしてですか?
- 川上
舞台に出演させていただいた時、元宝塚の方に相談することがありました。卒業ってすごく勇気がいることなので、「退団した後ってどうでしたか?」って聞いてみました。すると、「なるようになる」と言われたんです。シンプルな言葉でしたけど、ぐっときました。「外に出ても助けてくれる人はいるから大丈夫だよ」とお聞きして、そうか、卒業って怖いものじゃないんだと認識が変わりました。それに、自分のアイドル活動を振り返った時、やりきったと思えたんです。もともと女優さんを目指していたこともあったし、もう卒業しようと思えました。

他に相談した人はいましたか?
- 川上
こじりん(小嶋花梨)や石田優美さんが現役の時は相談していました。3人でカラオケでオールして、未来について語ったこともあります。2、3曲歌ってからは、ずっと語り合って(笑)。私は新しい環境が好きなタイプです。だけど、今の安定を手放して進んでいいのか……その頃は迷っていた時期でした。
そんな時に、一般の会社で働いている友達と話していると、「新しい会社に行こうと思っている」なんて言っていて。そういったことも刺激になりました。
ご家族にはどう報告しましたか?
- 川上
高校を卒業する時に選抜から落ちて、NMB48から卒業したいと駄々をこねていたら、「あんた何言ってんの? 中途半端で辞めるな」と母から怒られました。でも、今回は「そうなんや。卒業してどうするの?」とだけ聞かれました。「舞台とか映像で活躍したい」と答えると、「頑張れ」と背中を押してくれました。
同期には?
- 川上
私、同期のグループLINEは眺めているだけで、あまり参加しないんです。みんながライバルだと思っていたから、簡単に相談してこなかったので。
活動していく中で、その気持ちに変化はありましたか?
- 川上
それがあまり変わりませんでした。誰にも負けたくないという気持ちがずっと強かったです。「悔しいな」と思うことが多かったアイドル人生だったので。
報われたと思った瞬間は?
- 川上
大事なお仕事に選ばれた瞬間です。舞台が決まったり、TORACO(阪神タイガースを応援する女子の総称)応援隊長に選ばれたりした瞬間は嬉しかったですね。誰かに認めていただいたということですから。誰かに選ばれたい、認められたいという目標があったから続けることができました。
阪神ファンとしての知名度はかなり得ましたよね。
- 川上
歴代メンバーで一番多く始球式をやらせてもらっています(笑)。難波より甲子園のほうが声をかけられますから。それも山本彩さんがTORACO応援隊長をされていたからできたお仕事なので、感謝してもしきれません。

