晴れ舞台のメンバーたちは躍動していた
取材でメンバーに2009年を振り返ってもらうことがあった。柏木由紀は「激動」と表現した。大島優子にとっては「一瞬」だったという。私にとってもAKB48とともに過ごした2009年は激動で、一瞬だった。
2009年のAKB48は人気に火がつき、力をつけた年だった。その集大成が『NHK紅白歌合戦』への出場だった。2007年、AKB48は“アキバ枠”としてリア・ディゾン、中川翔子とともに出場した。翌年は出場ならず、無念の臍(ほぞ)をかんでいた。AKB48は2009年の『紅白』復帰劇に懸けていたのだ。
そこに舞いこんだ吉報にメンバーは狂喜した。まったく運のいいことに、私は『紅白』のリハーサルを取材できることになった。
それは大晦日の数日前、何百人ものカメラ、記者が集まり、NHKホールで行われた。テレビで見覚えのある芸能リポーターの姿もあった。いつもの現場とは違い、私は完全にアウェーだった。しかし、それはAKB48が劇場から羽ばたこうとしていたことに他ならなかった。
囲み会見はメンバーの人数が多すぎるために、他の出演者とは別の場所で行われた。メンバーは明らかに緊張していた。狭い会見場に多くのメンバーが集まった状態は、見慣れていない記者からすると異様だったようで、その様子を指摘されると、篠田麻里子は「イナバ物置」とつぶやいた。会見場は徐々に笑いが広がっていった。狭い場所にぎゅっと肩を寄せ合うメンバーの姿は、「100人乗っても大丈夫」のCMそのものだった。緊張するはずの舞台で平常心を保てる篠田は、他のメンバーとは一味違った。
実は、この数日前、都内では撮影が行われていた。次のシングル『桜の栞』のMV撮影だ。私はまたしてもカメラマンとともに密着していた。監督は岩井俊二。映画『Love letter』や『スワロウテイル』、『リリイ・シュシュのすべて』などで知られる大物監督だ。
MV撮影は長時間にわたる。口寂しくなるメンバーもいたようで、撮影の合間、小嶋陽菜と大島優子が私の元へやって来た。2人は「あの……フリスク持ってません?」と尋ねてきた。私は持っていなかった。「なーんだ。持ってそうだと思ったのになぁ」と2人は去っていった。私はここまでメンバーに受け入れられたのかと感激した。そして、その後、フリスクを必ず持ち歩くようになった。
【MV full】 桜の栞 / AKB48 [公式]
そして大晦日。
さすがに仕事はなかった。だが、なぜだろう。どこか落ち着かない。私はAKB48のことが気になって仕方なかった。彼女たちはどんな気持ちで本番を迎えるのだろう。そう思うと、いてもたってもいられず、会場のNHKホールへと向かっていた。入場許可証は持っていないので、入れるわけではない。それでも向かわずにいられなかった。ただ念だけを送って、帰途についた。
本番は自宅で見た。披露する楽曲は『RIVERサプライズ2009』。『RIVER』と『涙サプライズ!』の合わせ技だ。晴れ舞台のメンバーたちは躍動していた。
AKB48はもう大丈夫だ――。
興奮は私を寝かせてくれなかった。HDDに録画された『紅白』を何度も見返していると、すっかり朝になっていた。
2010年、「AKB48が国民的アイドルになる」という想像をする余裕はまだなかった。
★★★
2009年。ひとりの担当記者が目撃したAKB48の1年間。少女たちは、絶望と涙の戦いに挑み、 “国民的アイドル”へと駆け上がった。
今年で20周年。あの頃を経験しているメンバーはもういない。しかし、20周年記念のシングル『Oh my pumpkin!』には、あの頃のOGメンバーたちが参加。
当時の少女たちの必死さは、今のメンバーたちにも受け継がれている。AKB48の明日は、きっと明るく輝いていることだろう。
文/犬飼 華