INTERVIEW

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【PICK UP!インタビュー・002】将来の安泰よりも夢を選んだのはなぜなのか? HKT48・梁瀬鈴雅「どんな形でもいいので、病気の方の心をサポートできるような仕事をしたいです」

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みんなライバル。仲良くなってはいけないと思っていた

そもそも、オーディションは無事に受けられたんですか?

  • 梁瀬

    福岡まではお母さんと一緒に行きました。でも、オーディション会場まで一人で行こうとしたら、途中で具合が悪くなってしまって。何度も立ち止まりながら会場までやっとの思いで着きました。オーディションのためのダンスレッスンでは、私だけ座って休んだこともありました。でも、やる気だけは見せなければと思って。とにかく必死に踊りました。退路を断っているから、私にはもうHKT48しかなかったんです。

 マネジメント陣営としても心配だったかもしれない。体調に不安を抱えるまま、この子を採用して大丈夫なのだろうか。しかし、その不安をかき消すに十分なものを彼女は見せていた。

  • スタッフ

    オーディションの最終審査は難しいダンスでした。梁瀬はダンス経験者ではありませんでしたが、目力がすごかったんです。絶対に受かってやるという気迫がみなぎっていました。その目は、スタッフの間でも話題になるほどでした。

 こうして梁瀬は念願のアイドルになった。

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合格後、症状に改善は見られましたか?

  • 梁瀬

    はい。心配していたんですけど、活動を始めたら驚くほど回復しました。どんな薬でも改善しなかったのに、見違えるくらい体調が良くなって。今ではほとんど症状は出ません。

中学時代の友達は、クラスメイトがアイドルになったことをどう思っているんでしょうね。

  • 梁瀬

    それがわからないんです。私は2人にしか福岡へ行くことを伝えませんでした。その友達もアイドルに興味はないから、「ふーん。そうなんだ」くらいで(笑)。でも、関東にはお仕事で来ることになるから、最後のお別れという雰囲気ではありませんでした。そのお友達は握手会にサプライズで来てくれたことがあります。嬉しかったですね。

この春、梁瀬さんは高校を卒業しました。元クラスメイトたちはおそらく慶應義塾大学に進学した人がほとんどだと思います。そのことをどう思っていますか?

  • 梁瀬

    みんな勉強をすごく頑張らないといけない環境だから、「頑張ってて偉いな、頑張れ」って応援しています。

ご自身の人生が大きく変わったことはどう思っていますか?

  • 梁瀬

    なるべくしてなったと思っています。病気になったのも、HKT48に入るためだったんじゃないかとさえ思います。病気にならなかったら、この選択はしていませんから。

関東出身なのにAKB48ではなく、HKT48を選んだのは?

  • 梁瀬

    元気な曲に励まされたからです。ベッドで横になりながら『最高かよ』を何度聴いたことか! 元気をもらった私が、HKT48になって、今度は元気をあげる立場になりたいと思いました。いつだったか、私と同じ起立性調節障害だという女の子が劇場公演を観に来てくれたことがありました。「れいあちゃんが治ったのを知って、観に来ました」と話してくれて、本当に嬉しかったです。

今後はどんな存在になりたいですか?

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  • 梁瀬

    誰かに寄り添って、元気を与えられる存在になりたいです。元気の源、誰かの希望になりたいです。病気だった私がここまで回復したんだよって伝えたいです。そのためにも、HKT48のことを、私のことをもっと知っていただけるような活動をしていきたいです。

高校を卒業して、自身が変化したなと感じることはありますか?

  • 梁瀬

    思考が大人になりました。私、今までは尖っていたというか。命を懸けて福岡に来たから、みんながライバルだと思っていて、仲良くなってはいけないと思っていたんです。でも、大人になってきたのか、メンバーのことを知っていくにつれて、ともに頑張っていく仲間なんだということに気づきました。今年に入って、ようやくメンバーとお出かけするようになりました。

3年かかりましたか(笑)。アイドルを卒業後の将来像は描いていますか?

  • 梁瀬

    どんな形でもいいので、病気の方の心をサポートできるような仕事をしたいです。そんな漠然とした思いはありますけど、将来への不安は常にあります。今は活動に対する不安が一番大きいです。いつかセンターに立てる日が来るのだろうかとか、どう頑張れば評価されるのだろうかとか。

楽しい妄想をすることはないですか?

  • 梁瀬

    旅行をする妄想をします。オーストラリアの熱帯雨林をもう一度馬で駆けてみたいなって。小学3年生の時に旅行でその体験をして、あまりにも楽しすぎたんです。いつか海外で写真集を撮っていただくのが夢ですね。舞台はオーストラリアか、台湾の夜市がいいな(笑)。

 起立性調節障害ではないにしても、何らかの病に苦しむアイドルは何人か見てきた。梁瀬はこの症状を、環境を変えることで克服した。競争社会から抜け出して、アイドルの世界に飛び込んだ。そこもまた競争社会ではある。しかし、彼女は周りを気にしていない。

彼女の生きる上でのテーマが、「自分はどう生きていくか」に変わったからだ。周囲がどうこうではなく、軸はあくまでも自分。まだ自己実現の旅の途中だが、少しでも彼女の存在が知られるようになれば、その旅は、もっと充実したものになるはずだ。

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PROFILE

梁瀬鈴雅(HKT48)

やなせ・れいあ
2006年6月29日生まれ。神奈川県出身。6期生。
2022年5月にHKT48の6期生メンバーとしてお披露目。
弾ける楽器は30種類。趣味は音楽鑑賞・楽器演奏・楽譜、楽器集め・ゲーム・フィールドホッケー。
毎週火曜23:30〜『HKT48のももち浜ラジオ局』。KBCテレビ『アサデス。7』3代目 ミサワシュランガール。『こんな時代に…』で、センターを務める。

オフィシャルホームページ

https://www.hkt48.jp/

取材・文/犬飼 華 画像提供/Mercury