ベッドで「私の人生、終わっちゃうな」って考えていました
彼女は過去のことを努めて明るく語ってくれた。ところが、一瞬だけ表情が曇った。それは、アイドルになろうと思った理由を聞いた瞬間だった。

アイドルを好きになったのはいつですか?
- 梁瀬
幼稚園の頃、AKB48さんが一世を風靡していたので、小学校低学年で『恋するフォーチュンクッキー』を踊っていました。アイドルとともに大きくなっていった感覚はあります。「ファン」になったのは中学生になってからでした。ずっとAKB48さんのことが好きでしたけど、中学生になってHKT48が大好きになったんです。運上弘菜さんに一目惚れしました。でも、その直後にコロナ禍に見舞われて、イベントなどが一切なくなったので、現場に行くことはできませんでした。パソコンかスマホでMVをたくさん見て過ごしました。それだけで幸せで、それが生きがいでした。
アイドルになろうと思ったのはなぜですか?
- 梁瀬
これを話すと説明が少し長くなってしまうんですけど……、中1の終わりに起立性調節障害を発症しまして、あまり学校に通えない日々が続くことになりました。私はこのままどうなってしまうのだろうと悩みました。学校に行けないということは、今まで頑張ってきたレールから外れることになるからです。慶應を辞めるのか。そして、違う学校に進むのか。そう考えている時にHKT48の6期生オーディションの存在を知りました。私の進む道はこれかもしれないとピンときて、その時、初めてアイドルになりたいと思いました。

起立性調節障害はどんな症状でしたか?
- 梁瀬
朝、ベッドから体を起こせないんです。上半身を起こした瞬間、吐き気とだるさに襲われます。それに、長時間立っていられないんです。2~3分立っているだけで、ふらっとしてしまいます。だから、ベッドで寝たきりになるしかないんです。
そうなんですね。原因は何だったか、わかっているんですか?
- 梁瀬
それがわからないんです。ただ、中高生の3割はかかると言われている病気で。程度の差は人によって違うんですけど、私の場合、すごく重い症状でした。
ベッドでは何を考えていましたか?
- 梁瀬
ずっと自分を責めていました。私の人生、終わっちゃうなとか。そう考えると、症状も悪化して、負のループに入っていきました。薬を処方されたんですけど、何も効き目がありませんでした。
辛かったですね……。そんなタイミングでHKT48のオーディションを受けることにした。
- 梁瀬
中学を卒業するタイミングでした。留年するか、退学するか。いま選ばないといけない。そういう状況になった時にオーディションを知りました。私は慶應を辞めることにしてから、オーディションを受けました。
退路を断ったんですね。ご家族はどんな反応でしたか?
- 梁瀬
「絶対に残りなさい」と初めは言われていました。でも、私が「どうしてもオーディションを受けたいんだよね」と話すと、私のことを心配してくれたのか、「それで体調が良くなるなら、受けてもいいよ」と認めてくれました。
