「ガラスガールのライターが今注目しているアイドルをインタビューする」という、不定期コーナー。第2回は、HKT48の梁瀬鈴雅(やなせ・れいあ)を、ライター・犬飼がインタビューする。
慶應以外の道を考えていませんでした
福岡県を拠点として活動するHKT48に梁瀬鈴雅が6期生として加入したのは3年前のことだった。
出身は神奈川県。関東から九州に移住してアイドルになる。それ自体はさほど珍しいことではない。それよりも「弾ける楽器は30種類!」というキャッチフレーズや、ラジオ番組での落ち着いたトークが印象的だった。
昨年7月、そんな彼女が自身の生誕祭で、慶應義塾大学付属の中学校を辞めてアイドルになったことを明かした。それ以来、いつか取材できないだろうかという思いが頭の片隅にあり続けた。泣く子も黙る学歴を捨て、将来の安泰よりも夢を選んだのはなぜなのか。直接聞いてみたかった。
そればかりか、彼女はある病気と闘っていた。その症状についても知りたかった。
インタビュー当日。ZOOMでの取材となった。「本日はよろしくお願いします」と、にっこりと笑う彼女。まずは慶應の門をくぐった経緯から聞いていこう。

慶應に入ったのはいつからですか?
- 梁瀬
小学校です。お受験というやつですね。
ということは、自らの意志というわけではなさそうですね。
- 梁瀬
はい。お母さんに言われたまま会場に行って、テストを受けて、気づいたら合格していました。
受験用の勉強はかなりしていたんですか?
- 梁瀬
はい。幼稚園から帰って来て、家にいる時間はずっと勉強でした。塾に通う子もいますけど、ウチはお母さんの教育だけでした。自信があったみたいです。
もしかすると、お母様も……。
- 梁瀬
中学から慶應です。父は高校から慶應で、いとこも全員慶應です。なので、慶應以外の道を考えていませんでした。
すごいですね! もしかして親族一同お医者様とか?
- 梁瀬
いや、おじいちゃんはお医者さんですけど、代々というわけではないです。
いずれにしても、相当な難関ですよね。
- 梁瀬
その年の倍率は全国1位だと聞きました。
……想像以上です(笑)。一般の幼稚園に通っていたら、自分は周囲よりできるという自覚がありますよね。
- 梁瀬
近所の幼稚園に通っていたんですけど、言われたことをすぐに理解できました。
梁瀬家の育てられ方の特徴は?
- 梁瀬
礼儀などの躾には厳しかったです。静かにしなさいと言われたら一切しゃべらないこと、挨拶、感謝、敬語についても厳しく言われていました。「お父様、お母様と呼びなさい」とも言われましたけど、どうしてもできなくて。当時からパパ、ママと呼んでいます。
そんな育てられ方を窮屈に感じたことは?
- 梁瀬
お姉ちゃんは友達と遊びに行くのに、私は勉強してばかりだったので、どうしてだろうとは思いました。でも、勉強するのが当たり前という環境だったので、幼稚園の頃はさほど不満はありませんでした。
ゲームとかしたくありません?
- 梁瀬
小学校に上がると、1日の勉強ノルマを終わらせたら、ゲームを許してもらえました。平日は1日3時間、土日は8~10時間勉強をして、その後はゲームで遊べました。今でもゲームは大好きです。
なぜそんなに勉強していたかというと、付属の一貫校だから、中学からは中学受験をして合格した生徒と一緒になるんですね。その子たちって、すごく努力をしているんです。「そういう子たちが急に増えるから、落ちこぼれないように」というのが母の教えでした。
