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【短期・不定期連載】2009年のAKB48・彼女たちが“国民的アイドル”となった瞬間 --或る記者が見た あの頃-- 第4回「サプライズとスキャンダル」

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ダンスレッスンが4日間もスケジュールに組まれていた

9月に入ると、AKB48は外側から揺さぶられることとなった。

倉持明日香の過去の写真が写真週刊誌に掲載されたのだ。それは、倉持が中学時代、スカウトマンに撮影されたという手ブラ写真だった。グループが売れてくれば、こういった写真が売られるようになる。有名でなければ、マスコミは写真を買い取ってくれない。

ピンチに立たされた倉持だったが、この窮地に前代未聞のカウンターを放つ。彼女が所属していたチームKの劇場公演の寸劇において、写真流出の説明と謝罪をしたのだ。倉持が涙ながらに頭を下げると、駆けつけたファンから拍手が起こったという。

スキャンダルが起きたら、ファンの目の前で回収する。少なくともアイドルシーンではかつて聞いたことがない対応だった。

この回収劇を考えたのは倉持本人ではなく、大人たちだろうが、それにしてもウルトラCというか、想像の斜め上をいく着地法だった。運営はスキャンダルをスルーすることなく、正面から、かつ斬新な手段で受け止めてみせた。

2009年のAKB48は選抜総選挙、組閣、倉持スキャンダルと立て続けに“事件”が起きたが、どれも見たことがないエンターテインメントだった。私はどんどんAKB48に惹かれていった。毎日AKB48のことばかり考えるようになっていた。その芯にあったものは、比類なきエンタメ性だ。その主人公がアイドル。それこそが世間に刺さるのだ。

AKB48が世間に浸透するためにもうひとつ足りないもの、それは楽曲だった。大ブレイクにリーチがかかっていたAKB48に、『言い訳Maybe』の次はどんな曲が待っているのか。次は勝負を賭けてくるはずだった。

というのも、AKB48は前年の『NHK紅白歌合戦』に出場できなかったからだ。2007年にはアキバ枠の一角として、リア・ディゾン、中川翔子とともに出場を果たしたのだが、2008年は声がかからなかった。2009年はなんとしても復活を果たしたい。そんな声を複数のメンバーから聞いていた。

AKB48に与えられた楽曲は『RIVER』だった。作詞は秋元康。作・編曲は井上ヨシマサ。井上は『制服が邪魔をする』『大声ダイヤモンド』などを手掛けていた。

【MV full】 RIVER / AKB48 [公式]

運のいいことに、このシングルのMV撮影にも私は密着できることになった。今回も雑誌『B.L.T.』の取材だった。同誌はAKB48の連載を持っていた。

『RIVER』のMVは2日にわたって撮影することになっていた。時期は9月上旬。初日は埼玉県内の入間基地。曲の始まりは、自らの体を叩きながら、地面を踏みつける動きが特徴的なストンプ。これは秋元康の強い希望で取り入れられたという。このダンスレッスンが4日間もスケジュールに組まれていた。それだけ本気だということだ。ストンプが苦手なメンバーは“特訓メンバー”として別途時間が設けられた。

ヘリコプターの前でのダンスシーン、個人でのリップシーン、複数人のシーンもあった。複数人での撮影は、武道館で発表された新チームで分けられていた。

日が暮れる頃だっただろうか、現場に緊張が走った。「先生がいらっしゃるかもしれない」。複数の関係者がそわそわし始めた。しばらくすると入間基地に秋元康がやって来た。やはり総合プロデューサーもこの曲に勝負を賭けているのだ。そんな現場の緊張感とは裏腹に、アイドルのMV撮影を物珍しそうに、遠巻きに眺める何人かの自衛隊員の姿が印象的だった。

2日目は、横浜市内のスタジオに場所を移した。この日も全体のダンスシーンと、新チームAの撮影が行われた。ダンスシーンを撮り終えると、しばらく休憩となった。新チームAが水の中を歩くシーンを撮ることになっていたのだが、その水を貯めるのに時間がかかるからだ。

大島優子はニンテンドーDSでリラックスしていた。前田敦子と高橋みなみは、スタッフと外へ食事に出かけた。私は出かけようとしている前田の姿を見て驚いた。その日、私が着てきて、スタジオ内のハンガーにかけておいたパーカーを着て出て行ったからだ。前田はおそらくスタッフの私物と勘違いしたのだろうが、新曲の新衣装を人目に触れさせるわけにはいかないから、情報が公開される前は上着を羽織ることがメンバーの常だった。

新チームAの撮影は深夜まで続いた。水(実際は冷水ではなく、湯気が立たない程度に温められてはいた)の中で何時間も歩き続けていた。時計はとっくに0時を超えていた。高橋と前田は18歳になっていたので、深夜労働が可能になっていた。クランクアップしたのは午前3時を回っていた。温水は時間の経過とともに冷める。撮影終了時、メンバーは震えながらバスタオルにくるまっていた。

メンバーもスタッフもくたくただった。見ていて堪らなくなった私はスタジオ近くにあったドン・キホーテに走り、差し入れのハーゲンダッツを32個買ってきて、衣装担当の茅野しのぶに手渡した。しかし、よく考えると、寒がっていたメンバーには逆効果の差し入れだった。

キングレコード(当時)の湯浅順司氏とともにカメラマンの車に乗せてもらい、自宅まで送ってもらった。到着したのは朝の4時半前だった。

目覚めると10時半を回っていた。点けっぱなしだったテレビを見やると、高橋みなみが映っていた。つい数時間前までMV撮影の現場にいたはずなのに、そんなことはおくびにも出さず、レギュラー出演している生放送の番組で元気に仕事をしていた。高橋がスタジオ入りしたのは何時なのだろう? 私はさっきまで寝ていた自分が恥ずかしくなった。

私はシャワーを浴びてから取材現場に向かった。その日もAKB48の取材が入っていたのだ。気がつけば、すっかりAKB48中心の生活になっていた。

※次回の配信をお待ちください。

文/犬飼 華