「できるのか……?」と「やりたかったことがあるのかも」

デビューライブからだいぶ経ちますが、加入までの経緯もお聞きしたいと思っています。多田さんはずっと北海道在住でしたが、グループの外から見ていた“北海道のタイトル未定”はどんなグループでしたか?
- 多田
デビュー当時から「なんだか他のアイドルとは違う、見たことないグループが北海道に出てきたぞ」って感じていました。それで、ここ数年は特にメディアの露出がどんどん増えていくのがすごいなと思っていて。
たしかに、ここ数年だけを切り取ってもすごいですよね。この2年間でグループやソロでの冠ラジオ番組、スポーツ紙「道新スポーツ」でのコラム連載が始まり、NHK北海道やHBCテレビでの特番放送もありました。
- 多田
やっぱりアイドルって、どうしてもライブどまりになってしまうというか。ライブはもちろん重要なんですけど、そこに加えてメディアでの活動と両方やっていくのが「他のアイドルとは違うな」って。そんなタイトル未定を私はただただファンとして見てました(笑)。

そんな多田さんがタイトル未定に入ったのは?
- 多田
昨年の春まで別の事務所でタレントとして活動してたんですけど、お芝居のように自分で表現できるお仕事もやりたくて、事務所の移籍を考えていたんです。何度か東京に出ていろいろ探してみたけど、なかなか次の道は決まらなくて。「やりたいことのためにひとりで頑張らないといけない。でも全然上手く進まない」って、多分今までの人生で一番悩んでたのが、昨年の春から夏までの期間でした。そんな中で、プロデューサーのついまさんがお声がけくださったんです。
直々のオファーが。
- 多田
タレントになる前、前のグループが解散したのはコロナ禍で。間も空いているので「私、まだアイドルできるのか……?」とは思いました。でも、お客さんと会えないまま終わってしまったことにはずっとモヤッとしていたし、“表現したい”って気持ちは、アイドル、しかもタイトル未定なら叶えられるかもと思ったし。悩んだは悩んだけど、すぐに加入することを決めました。

一方、山下さんは数年前まで東京でアイドルをしていて、一昨年から今の事務所に所属していました。
- 山下
はい。順を追って話すと、単身で東京に4年半くらい出ていて。その間、地元の友達や家族との時間が全然取れていなかったので、北海道に戻ってからは1年くらいずっと実家に入り浸る時間にしたんです。その間に知り合いの方を通じて、ついまさんと出会ったんですけど、私、前のグループを卒業するときに配信やライブで「アイドルはやりきったから、もうやりません」って言ってたんですね。
- 多田
そうだったんだ。
- 山下
そう。それこそ、ついまさんにも「アイドルをやるつもりはない」って伝えていたんですけど、それでも事務所にタレント部門として受け入れてくださって。所属してから1年、ソロで活動していました。

「もうやらない」と宣言しながらも、多田さんと同じように再びアイドルに。
- 山下
多分、萌加ちゃんと同じ時期に「タイトル未定に入りませんか」って話をいただいたんですよね。最初は「私、『やらない』って言ってたんだけどな」と思ったんですけど、でも逆に、「私がそれだけきっぱり言いながらもこの話が来るって、ついまさんの中に強い意志があって、何かが見えているんだろうな」「それって嬉しいことだよな」と思うようになって。
なるほど。
- 山下
舞台の稽古中で集中したかったので、ちょっと時間をもらって、落ち着いて考えたんです。「『やらない』とは言ってきたけど、今悩んでいるってことは、まだアイドルでやりたかったことがあるのかも」とか、「タイトル未定なら、自分がやってきた王道アイドルとは違うことに挑戦できるんじゃないか」とか。あとは「実は多田萌加も入る」って聞いたのも大きかったです。

- 多田
私!? そんなに影響する?(笑)
- 山下
いや、めちゃくちゃ大きい。やっぱりひとりで加入するのと、もともと面識がある子とのふたり加入って全然違うよ。
たしかにそうですよね。特にタイトル未定って、ひとり新しく加入するにはだいぶプレッシャーを感じるグループだと思います。