昨年末に19周年を迎え、今年20周年イヤーへ突入したAKB48。
そんなタイミングで、AKB48が「国民的アイドルグループ」へと階段を上っていった瞬間を振り返ろうという当連載。この長い歴史を振り返えれば、2025年の明日が見えてくる!
もしかしてとんでもないことになるのでは?
2009年6月中旬、私は沖縄にいた。柏木由紀の1st写真集撮影のためである。
本来ならばライターが撮影に同行する必要はないのだが、人手が足りないということで雑用係としてついていくことになったのだ。
私とカメラマンは、本人たちが沖縄にやって来る前日に現地に入り、ロケハンをして過ごした。県内各地を回っていると、行く先々で雨が降っていた。沖縄は梅雨だった。「やっぱりゆきりんは雨女なんだな」などとカメラマンと笑っていたが、翌日、本人たち一行が到着すると、前日の雨が嘘のように晴れ渡った。沖縄はその日が梅雨明けだった。その日以降、私は柏木を雨女だと思わないようになった。雨男なのは、私かカメラマンのどちらかだ。
2泊3日の日程の最終日、軽い打ち上げとして一行で食事をしていると、誰かが口を開いた。
「そういえばさ、今度やる総選挙だっけ。あれって何なの?」
柏木は首を傾げた。表情には「さあ……」と書いてある。メンバーもよくわかっていないのなら、部外者である私たちにはわかるはずもない。
AKB48の選抜総選挙は7月8日に予定されていた。その直前のグループの動きを振り返ってみる。
4月26日 コンサート「神公演予定」開催。総選挙の開催が発表される
4月28日~5月5日 「世界卓球2009横浜」をAKB48卓球部が応援
5月某日 『涙サプライズ!』MV撮影
6月4日 シアターGロッソでひまわり組2nd「夢を死なせるわけにはいかない」公演初日
6月23日 総選挙投票開始
6月24日 12thシングル『涙サプライズ!』発売。30位までの速報が発表される
7月1日 東京ドームの巨人戦で選抜メンバー12人が同時始球式。また、中間順位が発表される
7月2~4日 パリで「JAPAN EXPO2009」に参加
なかなかのハードスケジュールである。何らかのイベントがない日も公演やらレッスンやらで、ほぼ休みはなかったと思われる。
この頃、私はすっかりAKB48の番記者らしき存在として取材しており、いくつかの雑誌で密着などをするようになっていた。どれも忘れがたい思い出ではあるが、『涙サプライズ!』のMV撮影も2日間密着していた。選抜の全メンバーを取材したが、曲のことを中心に聞いていたため、総選挙のことはほぼ話題に上らなかった。唯一、自ら総選挙のことを口にしたのは渡辺麻友だった。といっても、「この曲で(次の選抜が)決まるんですよね……」といった程度で、話は広がらなかった。5月の時点で私は総選挙に興味がなかったからだ。
『涙サプライズ!』はAKB48として初めて初動売り上げ10万枚を突破したシングルとなった。このシングルの通常版には、選抜総選挙の投票券が封入されていたことも後押しの要因となったのだろう。
当時のAKB48は少しずつ名前が聞かれる存在になりつつあった。その証拠に、AKB48は読売巨人軍創立75周年応援隊に選ばれ、7月1日には選抜メンバー12人が同時に始球式を行った。
私はこの始球式にも同行している。試合開始直前、グラウンドレベルに案内されると、コーチがノックを打っていた。よく見ると、ノッカーは篠塚和典だった。首位打者を2度獲得し、守備でも華麗なプレイでファンを沸かせた名手だ。
なんと柔らかいバットコントロールなのだろう……。うっとりしながら見ていると、いつの間にか始球式の時間になる。ジャイアンツのユニフォームに身をまとった12人が一斉にグラウンドに飛び出す。メンバー12人に対し、キャッチャーだけでは足りず、野手まで動員されてキャッチャー役を務める。1対1が12組。これがおそらく史上初の12人始球式だ。メンバーはほぼ同時にボールを投げたのだが、まともにコントロールされたボールなど投げられやしない。ただ一人、ストライク投球をしたのは宮澤佐江だった。宮澤は両手を上げ、飛び跳ねながら喜んだ。
この始球式はメンバーにとってはいい息抜きになった。というのも、後日、メンバーから聞いた話によると、パリで行われた「JAPAN EXPO2009」に参加したメンバーは気が気ではなかったらしい。この時点では中間発表までされていた。選抜に入れるのは21人までなので、入れるか入れないかで気を揉んでいたのだ。
22~30位はアンダーガールズになる。21位までの当落線上にいたメンバーは「選抜に入れないかも……」と精神的にかなり不安定だったようだ。それでも仕事はこなさなくてはならない。パリ市民に日本のアイドル文化を伝えるという重要な任務をどうにかこなし、メンバーは帰国の途に就いた。
速報、中間発表ともに1位は前田敦子だった。2位は大島優子。3位につけていたのは高橋みなみだった。中間の時点で1位と2位の差は979票。初めての総選挙なので、どれくらいの差で安心できるのかがまったく読めなかった。
つい1か月前までは大して関心を持てなかった総選挙だったが、さすがに中間発表が終わった頃には、「このイベント、もしかしてとんでもないことになるのでは?」と予感するようになっていた。徐々に緊張感が高まっていき、7月に入ると私は毎日総選挙について考えていた。