2005年12月8日にデビューしたAKB48は、今週の日曜日、19周年を迎える。さらに来年2025年は20周年イヤーへ突入する。
そんなタイミングで、AKB48が「国民的アイドルグループ」へと階段を上っていった瞬間を振り返ろうという当連載。この長い歴史を振り返えれば、2025年の明日が見えてくる!
2009年のアイドル界は王者不在の状態
2010年、AKB48は時代の寵児となった。
きっかけは第2回選抜総選挙だった。前年覇者の前田敦子を大島優子が破り、そのドラマ性が世間に届いたのだった。『ヘビーローテーション』などの楽曲にも恵まれた。ところが、前年からその波は感じられていた。
爆発的に売れた「前年」である2009年にスポットを当てる。AKB48はどのようにして“国民的”になり得たのか。15年経った今、担当記者が改めて振り返る。AKB48はなぜ売れたのだろう?
2009年のアイドル界は王者不在の状態にあった。長く続いていたモーニング娘。のブームは過ぎ、2005年にデビューしたAKB48はまだ世間には届いていない。その他の勢力もコレといった存在がいなかった。玉座には誰に座っていない。そんな時期だった。
世間に届いているコンテンツになっているかどうかをはかる指標のひとつとして、『NHK紅白歌合戦』に出場したかどうか、で見てみよう。2008年、AKB48は『NHK紅白歌合戦』に出場できなかった。2007年には〝アキバ枠″としてリア・ディゾン、中川翔子とともにお声がかかり、『会いたかった』を歌唱したものの、連続出場はならなかった。つまりは、落選である。
2008年の『紅白』にアイドル枠(らしき出場者)として出場したのは、Perfumeだった。2007年にリリースした『ポリリズム』がヒットしたのだ。この曲は、NHKと公共広告機構のキャンペーンソングに起用されていて、同局との相性もよかった。
2008年は、モーニング娘。の連続出場記録が途絶えているという意味で、時代の区切りを感じさせた年でもあった。もしAKB48が出演できていたら、アイドル界の政権交代がすんなり完了していたのだが、実際はそうならなかった。
アイドル女優、グラドル出身のタレントなどは相変わらず一線で活躍していたが、歌って踊るアイドルグループは、全体的にもうひとつ元気がなく、“国民的”な存在と呼べる存在は誰もいなかった。
私はAKB48を2006年から取材していた。当時のAKB48は、もちろんまだまだ知られた存在ではなく秋葉原の劇場は、250人の客で埋まるようになってはいたものの、「ブレイクしたい」というメンバーの思いとは裏腹に、現実がついてきていなかった。
あるメンバーは、学校で男子から「萌え~」と呼ばれていた。秋葉原=萌え。それは間違ってはいないのだが、そこにはからかいの意味が多分に含まれていた。トンネルの先にまだ光は見えていなかった。